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7.王の帰郷

最終話 PART 2

2010.06.14  *Edit 

 最後まで抵抗していたマキシム王の腕が床に伸びると、ローレンはやっと彼の体から降りた。マキシム王が掴んでいた指の痕が、ローレンの動かない右腕に赤く残っている。
「これは……どういうことだ?」
 ゴーティスが尋ねると、ローレンは立ち上がり、右腕に残った痕を不快そうに見つめた。
「この王には俺にも何かと恨みがある。あんたのためじゃない。この王国が崩壊するかもしれない機会に、俺の復讐を果たしただけだ」
 ローレンはちらりと後ろにある入口に振り返ると、マキシム王の死体の脇に放り出された剣をゴーティスに示した。
「マキシム王の剣をとれ。衛兵たちが押し寄せてこないうちに、ここから早く脱出するぞ」
「俺を助ける気か?」
 ゴーティスは怪訝に思いながらも、床に転がった剣を拾い上げる。
「俺が復讐を果たすまで、あんたには生きていてもらわなきゃ困るんだ」
 彼は決して好意的ではない視線をゴーティスに向けた。
「ジェニーのために、この城から出るまで俺はあんたに手を出さない」
 彼が妹思いだということは、ゴーティスも伝え聞いている。この男は、マキシム王がジェニーを死に追いやった事実を、まだ知らないはずだ。
「わかった。俺がカイルに報復したら、そのあとは、おまえの復讐でも何でも受けて立とう」
「カイルに報復する? 一連の事件に腹は立つだろうが、あんな奴、放っておけばいい。どうせ、この国と一緒に自滅するさ。あんたの国の軍もそろそろ湖岸に着く頃だ」
 軍が動いた――ああ、ゴーティスが逃がした近衛兵は、役目を果たしたということだ。
 ゴーティスは感銘を受け、白み始めた窓の外を眺めた。湖の上には灰色の霧がかかり、ゴーティスの目には何も見えない。
「急げ! ここでのんびりしてる間に、あんたを救おうと城内に忍び込んだジェニーが命を落とすかもしれない。早く剣をとって仲間に合流しろ!」
 ローレンの声に、ゴーティスは立ちすくんだ。
「ジェニー……だと? ジェニーは、生きておるのか?」
「当たりまえじゃないか!」
 ローレンが憤慨して怒鳴った。
「あんたのために、ジェニーは今頃、ここの奴らと剣で戦ってるんだ!」
 ローレンはそう叫び、ゴーティスの手から滑り落ちた剣を見て、不審そうに眉をひそめる。
「まことか? 死んではおらぬのか? あやつは今も生きて……息をしておるのか?」
 ローレンの返答はなかったが、ゴーティスを不可解そうに見返す彼の目が、ジェニーの生存を物語る。彼女の絶対の味方である彼が、ジェニーの生死について嘘をつくわけはない。
「生きて……おる……」
 ゴーティスは大きく息をついた。安堵のため息はあまりにも深く、ゴーティスが床に落ちた剣に手を伸ばすと、眩暈を覚えた。
 だが、剣に触れたゴーティスの手には不思議な力がみなぎる。ゴーティスの指の先が触れたそれは、剣の形をとった勇気だ。
 ゴーティスは小城にある月の女神像を思い浮かべ、彼女に短い祈りを捧げた。
 ――ジェニーに加護を。
 ――我が国に勝利を。
 でも、祈りはしたものの、ゴーティスには予感があった。ジェニーがこの城内にいるのなら、勝利はもうヴィレールの手の内だ。月の女神はまた、戦の神でもある。それはまた、ジェニーも然り。
 だが、部屋を出る直前で二人は足止めをくらう。入口前の通路に倒れた衛兵を跨ぎ、顔を赤くしたカイルが入って来たのだ。彼もまた、その手に剣を握っていた。


 カイルは後ろにもう一人、衛兵らしい男を従えていた。
「ロハン、この裏切り者め!」
 カイルは肩をまわすと、剣をまっすぐにローレンに突きつけた。
「ヴィレールと通じて奴らを引き入れたのはおまえだろう! おまえはどれほどこの国に恩義があるのか、忘れたわけじゃないだろうな? レオポルド様は、俺が決して招かれない寝所にさえおまえを呼び、特別に目をかけておられたのに!」
 ローレンが顔を引きつらせて笑った。
「俺はヴィレールと通じてないし、こいつが俺の仇なことに変わりはない。でも俺は、この国に恩義なんか感じちゃいない。あの変態王め、いつも足元を見やがって……! 俺はこの国の塩にしか、興味はないんだよ」
「なっ……なんて恩知らずな!」
 激昂したカイルの小さな目が、突然、瞠目する。彼の目は、床にあるマキシム王の死体にくぎづけだ。
「……おまえ、まさか……まさか、その手でやったのか? それとも……」
 ローレンの剣は当然ながら、ゴーティスの持つマキシム王の剣も血で汚れている。二人の剣を見比べたカイルが、剣先を床にたたきつけながら、唸った。
「ああああ、レオポルド様! くっそう、おまえたち二人とも、生きてここを通れると思うな!」
 カイルの剣が二人の間を割り、ローレンとゴーティスはそれぞれ左右に避けた。すると、疲労した体が急な動きに反応しきれないのか、ゴーティスはよろめいて、床に膝をつく。床面が前後に大きく揺れたように感じられたのは、ゴーティスだけの錯覚だろうか。
 カイルの低い笑い声が響いた。
「はは、ゴーティス王、動きが鈍いじゃないか! でも仕方ないか、あんたが毎日飲んでた水には少量の毒が混ざってたからな。今頃になって利いてきたんだよ」
 カイルの歪んだ笑顔から振り出された剣を、ゴーティスはかろうじて防いだ。普段なら剣を弾き飛ばせる力が、ゴーティスの腕に少しも集まらない。息切れがする。多少の毒に慣れているはずの体が想像以上に弱っている。
 だが――ここで死んでなるものか。
 故国の軍が、彼らの王を奪ったこの国に集結しようとしている。ジェニーが生きている。
 愛する男を救うためだけに敵地に乗り込んだ、向こう見ずで勇敢な女の顔をもう一度見るために、ゴーティスはこの場を生き抜く必要がある。
 剣の交わる音がゴーティスの頭の中に反響し、動悸がして、ゴーティスは弱い吐き気に襲われた。ちょうど、カイルの背後で、ローレンが衛兵の剣を頭上で受け止めたところだ。
 カイルの振り切った剣がゴーティスの腕部分の服を裂いた。肉まで裂かれたような衝撃だったが、白地の服には血が薄く滲み出しただけだ。
「死んだ女なんかに操を捧げないで、さっさと女を抱いとけばよかったんだ。そうすりゃ、あんたが楽しんでる間に、俺が女ごとおまえを串刺しにしてやれたのに!」
「ほざけ、ジェニーは死んでおらぬ!」
 すると、逆上したらしいカイルがゴーティスに剣を振り下ろし、応戦したゴーティスの剣に一気に体重をかけた。その力を押し返し、押し返され、ゴーティスとカイルは一歩も譲らずに、立ち位置をぐるりと変える。
 と、ゴーティスは突然、何かに足をとられて体勢をくずした。足が滑り、体勢を立て直すこともできずに床に落ちた。剣は床に打ちつけられる前に何かの物体に刺さり、無情にもゴーティスの手から離れていく。
 倒れたゴーティスの顔の横に見えたのは、血だまりに浸かったマキシム王の娘の体だ。ゴーティスは彼女の服の裾に足をとられたのだ。
「ははははは! おまえの運もここまでだ、ゴーティス王!」
 明るさを増した室内にカイルの笑い声がこだました。ゴーティスが見上げる彼の口が、やけに赤く見えた。
「地獄に堕ちろ!」
 カイルの腕が剣を振り上げ、ゴーティスは娘の体に刺さった剣に手を伸ばした。
 生きることをあきらめはしない。祖国が、ジェニーが、娘カミーユが、ゴーティスが生きることを望んでいるのだ。

 ゴーティスが剣の柄を掴み、襲いかかってくるだろうカイルの剣を満身の力ではね返そうと構えたとき、カイルの剣が宙で揺れて止まった。怒りに染まっていた彼の顔が戸惑い、その目がゴーティスから逸らされ、別のあらたな怒りが彼の唇から暴発した。
「こっの……ローレン!」
 怒り狂ったカイルが振り返ると、その腰から真っ赤な血が溢れ始めた。そしてその直後、ローレンの背後にいた衛兵の剣が、ローレンの背中に襲いかかる。
「ローレン!」
 ローレンは顔をしかめて右足を大きく一歩踏み出し、ゴーティスを見た。
 だが、彼は勇者だ。すぐに衛兵に振り返り、鮮やかな剣さばきで男に致命傷となる一撃を与える。ローレンの背中には、右肩から斜め下に向かって、大きな長い傷が走っていた。
「ローレン、危ない!」
 だが、反撃を果たしたローレンを待っていたのは、カイルだ。振り返ったローレンにカイルが体当たりする。
 ゴーティスが起き上り、カイルの体に伸ばした剣は届かなかった。苦痛に歪んだローレンの顔がカイルの震える肩先から見えなくなったのは、そのすぐ後だ。
「おのれ、カイル!」
 ゴーティスが次に伸ばした剣はカイルの背中を斜めに斬った。カイルは悲鳴をあげて床に膝をつき、ゴーティスの攻撃から逃れようとして床を転がる。それを追おうとして、ゴーティスは、床に崩れ落ちたローレンの腹から湧水のように血が噴き出しているのを見て、言葉を失った。

「……あいつを逃がしていいのか?」
 カイルが消えた入口を見たあと、ゴーティスはローレンの怪我に視線を戻した。
 ひどい出血だ。カイルを追っている間にローレンの命が果てるかもしれない。
「血を止めようとでも思ってるんだろうが……無駄だ。この傷の深さは、自分でもよくわかってる。カイルにしてはよくやったよ、致命傷だ」
「よい、もうしゃべるな。今少し耐えれば、おまえの妹に会えよう」
 ゴーティスがローレンを助け起こそうと彼の肩に触れると、彼はその手を押し戻した。
「仇の情けはいらない」
 ローレンが咳きこみ、赤い唾を吐きだした。彼は急いで口を拭ったが、唇の周りに血が残っている。
 ゴーティスが隣に跪くと、ローレンは反抗的な目で見返した。今や懐かしささえ感じる、ジェニーと同じ反抗的な態度だ。
「……なにゆえ、俺を助けた?」
「俺はあんたを……この手で殺したかっただけだ」
 ゴーティスが見つめ返していると、彼の目が次第に戸惑いを帯びてくる。
「では、今しばし生きて、殺せばよい」
 疑わしそうにゴーティスを睨んだローレンの体から力が抜け、ゴーティスはその頭を手で支えた。ローレンは抵抗しなかった。震えながら深い息を吐き、いまだに出血し続けている腹を手で拭う。
「おまえを殺せば……俺がジェニーに、殺される……」
 ゴーティスはジェニーの顔を思い出し、思わず微笑んだ。ともに勇敢な兄と妹が剣を交わらせる姿は圧巻だろう。ローレンがゴーティスを見て微笑むのは、彼が同じ女の顔を思い浮かべているからに違いない。
「だが――それでは、おまえは俺への復讐を果たせまい」
「いや……」
 目を閉じたローレンの顔色が土色に変わっていた。ゴーティスがこれまでに何十回と見てきた、死人の顔に近づいている。
「ローレン? ローレン、眠るな! まだジェニーと会っておらぬではないか!」
「うる……さいな」
 ローレンは顔をしかめて瞼を開き、ゴーティスを非難するように見た。
「……復讐は果たせるさ。あんたがジェニーと一緒にいる限り、顔を見るたび……あんたは、俺に救われた今日を思いだす。ああ、いい気分だね……あんたはずっと、俺に感謝して生きるんだ……あんたは俺に一生、頭が上がらないんだよ……」
「待て、まだ行くな!」
 眠るように静かに閉じていくローレンの瞼を見て、ゴーティスは彼の体を揺さぶった。彼は目を開けなかったが、眉が不快そうにひそめられる。彼の意識は、まだ残っている。
 でも、この世が彼を引きとめられる時間はもうわずかだ。彼の息があるうちに、ジェニーと何とか引き合わせなければ――。
 ゴーティスが剣を掴んで立ち上がると、窓の外に広がる薄い闇の向こうに、霧がはれた湖が見えた。湖上に、おびただしい数の白い物体が浮かんでいる。
 それが何かを特定すると、ゴーティスの目頭が熱くなった。萎えた膝に力が戻ってきた。
 ゴーティスの見慣れたヴィレールの国旗が掲げられた船が、びっしりと並んでいた。彼らの王を奪ったマキシム王国に報復しようと、湖から国を包囲したヴィレール軍だ。
 ところが、そんなとき、ゴーティスの耳に廊下を疾走してくる足音が聞こえた。相手は一人だ。
 こんなときに。
 こんな大事なときに。
「すぐに戻る」
 ゴーティスは寝かせたローレンに言い残し、剣を手に、部屋を走り出た。


  *  *


 ジェニーは廊下の角を曲がり、暗闇を反対方向から向かってくる影に気づいた。男だ。この国はいつまで、ジェニーをゴーティス王から阻もうとするのだろう。
「お、おまえは、ジェニー……!」
 剣を掲げたその男は、カイルだ。ゴーティス王を拉致し、この城に連行した張本人。
「会いたかったわ、“カイル”」
 ジェニーは身構え、剣をカイルに向けた。日常的に剣を扱う男とまともにやり合うのは利口ではないが、怪我を負った男なら、それも当てはまらないだろう。カイルは返り血も浴びているが、彼の服が腰の部分で横に裂けていて、一帯が血で染まっている。彼が右側をかばうように歩くのは、彼が傷を負っている何よりの証拠だ。
「はは、こんなところにまで現れるとは、なんと勇ましい愛妾だ! 王と一緒にわざわざ死にに来たか!」
「死ぬのはあなたの方よ!」
 ジェニーが繰り出した剣をカイルが受ける。彼がジェニーの力に負けることはないが、ほかの男たちと比べれば、彼の衰えは明らかだ。どちらも一歩も譲ることなく、二人はその場をぐるぐると回る。
「この女!」
 ジェニーの剣を押し返すことにやっとのことで成功し、カイルは肩で激しく息をつきながら、ジェニーを睨みつけた。
「動けば動くほど傷が広がるわ。早くらくになった方がいいわよ」
 ジェニーがカイルの腰の傷を示して言うと、彼はむくんだ顔を怒りでさらに膨らませた。
「俺は女が大嫌いだ。同じ空気を吸うのだって嫌だ。あんたはあんな生き物と少し違うみたいだが……それでも、女にやられることだけは絶対に許せない!」
 再びジェニーに襲いかかった彼は、剣を合わせながら、顔を醜く歪めた。
「知ってるか? あんたの兄は俺がこの手でさっき殺したんだよ」
 ジェニーは信じなかったが、そのわずかな動揺をカイルに突かれ、剣を押し返されて床に転倒した。
 彼は嘲笑したが、でも、ジェニーがそのまま反撃しないと思ったことが間違いだ。ジェニーはすぐさま剣を拾うと、床を転がりながら、彼の足をその剣で振り切った。
「ぎゃあああっ……!」
 雄たけびのような悲鳴とともに、カイルの体がジェニーに降ってくる。ジェニーは手をついて逃れたが、髪を何かに引っ張られ、再び床に転がった。背後でカイルの笑い声が高く響いた。
「カイル……!」
 ひとつに小さく束ねていたはずのジェニーの髪がほどけ、その先端をカイルの手が掴んでいた。
「女ってのはやっぱり不便だな! 男の気を引くつもりか知らないが、こんなに長く髪を伸ばすからだ! 大体、女が戦いの場に出るなんて、俺は――」
 カイルの手は引っ張る対象を失い、ジェニーが剣で振り切った髪の先を掴んだまま、ひっくり返った。
「おまえ! 髪を、髪を切るなんて……!」
 ジェニーの放った剣の先がカイルの首元にめりこんだ。彼が目を白黒させ、剣の埋まった箇所から血が勢いよく流れ始める。
「髪なんか伸びるわ。いつまでもしゃべりすぎよ……」
 だが、必死で抗おうとするカイルの手は、ジェニーを引き続き襲う。カイルは暴れ続け、ジェニーは彼の力に引きずられて仰向けに転がった。剣を保つ腕に力が入りきらなくなって、ジェニーは剣を両腕で支え、振動に耐える。
(早く、早く、王のところに向かわせて……!)
 そのときだ。
 カイルの胸に、剣の刃が上からまっすぐに突き立てられた。
「間に合ったか!」
 ひときわ大きなカイルの呻き声に続き、男の声がした。ジェニーが見上げると、サンジェルマンが笑い、ジェニーの横にしゃがみこんだ。
 かつて、これと同じ風景があった。ジェニーが危機に瀕したときに駆けつけた、サンジェルマンの笑顔。
 サンジェルマンはカイルの腕のまわりに散乱したジェニーの髪に目をやり、ジェニーに再び笑う。
「もう大丈夫だ、援軍が到着した。おまえの兄があちこちで起こした火事のおかげだ。燃え盛る火を見て、予定より早く軍が城に突入してくれた」
「ローリーが?」
 サンジェルマンは頷き、ジェニーを助け起こす。
「ジェニー、王はこの突きあたりの部屋にいるはずだ。早く向かえ」
 ジェニーは廊下の先を見た。
 この先に王がいる。
 今頃になって、ジェニーは王が死んでいるかもしれない恐怖で身が縮んだ。
 彼の死体を目にすることになったら……どうすればいい?
 ジェニーが立ちすくんでいると、サンジェルマンがジェニーの背をそっと押した。
「早く行け、ジェニー。王がおまえを待っておられる」
 でも、ジェニーの不安を、サンジェルマンの笑顔は払拭してくれる。

 待っていて。
 私が行くまで待っていて、ゴーティス王。

 駆け出したジェニーの目に涙がにじむ。王の顔を直接見るまで泣かないと誓ったのに、涙が押しあがってくる。
 突き当たりの部屋の前には、男が一人倒れていた。城の衛兵だ。
 ジェニーはさらなる敵の登場に備え、剣を抜いた。でも、正直なところ、もう、ジェニーには戦う力がそれほど残っていない。
 その倒れた男の手前に、滑るように、男が部屋から躍り出てくる。
「あ……」
 ジェニーの駆ける速度が落ちた。ジェニーの様子を窺う男の手には剣が光っている。でも、彼の頭は、その鈍い光とは違うやわらかな輝きを放っている。
「ああ!」
 男が足を踏み出すより先に、ジェニーは剣を投げ捨て、全速力で走りだした。この瞬間までずっと溜めこんできた涙が溢れだすが、ジェニーの目は彼をとらえて離さない。
「……ゴーティス王!」
「ジェ……ニー!」
 ジェニーが飛びつくと、彼の体はぐらりと揺れて後ろに倒れた。でも、倒れてもなお、彼の腕はジェニーの背を抱きしめ、ジェニーの頭をいたわるように抱きしめる。
「怪我は? 怪我はどこにもない?」
 ジェニーが顔を上げると、王の顔の上に、ジェニーの涙がぽたぽたと落ちた。王はジェニーの涙で濡れた顔を手で拭い、顔を引き寄せて口づける。
「おまえは? よくぞ無事で……こんなところまで来おって!」
 ジェニーは王の頭を抱きしめた。王がジェニーの背骨を砕きそうなほど、腕に力をこめ、ジェニーを抱きしめる。
「よくぞ生きて、よくぞ生きておってくれた……俺のために、おまえはカイルから死ぬほどの苦痛を強いられただろうに」
 王の口づけをもう一度受けながら、ジェニーはふと彼の誤解を思いだした。
「ゴーティス王、あなたが私だと思ってた人質は、私じゃなかったのよ」
「何――だと?」
 王が瞳を近づけて、真偽を確かめようとジェニーの瞳をのぞきこむ。
「本当よ。私はカイルに監禁されたけど、アリエルと一緒に逃げ出したの。私たちが王城に戻ったときには、あなたは既にいなかった」
 ジェニーは笑い、呆然とする彼の瞼にそっと唇を押しつけた。唇に触れる、彼の感触が愛しい。
「会いたかった。あなたが無事で……本当によかった」
 王はジェニーを腕に抱き、長いため息をもらした。
「……そうか、おまえではなかったか。俺はてっきり……」
 王は弱く笑う。彼の瞳も、涙に濡れてきらきらと光っている。
「愛してるわ。もう、どこにも行かないで」
「どこにも行かぬ。どこにも行かせぬ。おまえはずっと――」
 ふと、ジェニーを抱く彼の腕が離れた。
「ジェニー、おまえの兄がここにおる!」
 王はジェニーを胸に抱きながら身を起こし、ジェニーに彼が飛び出してきた部屋を指し示した。
「今ならまだ間に合う! 早く――」
 ジェニーは王の言葉を待たずに飛び起きた。


 ジェニーの兄ローレンは幸せそうに微笑んで眠っていた。顔に一切の傷はなく、今にも大声で笑い出しそうだ。腹を真っ赤に染める傷がなければ、彼はただ、深く熟睡しているだけに見える。
 ジェニーは膝をつき、家族に愛された兄の頬にそっと手で触れる。
 まだ温かかった。ジェニーが呼びかければ、彼は文句を言いながら、きっと起き上がってくれる。
 ジェニーの隣に並び、王が膝をつく。ジェニーが彼の肩に顔をつけると、王は静かにジェニーの背をたたいた。
「この男は俺をカイルから救ってくれたのだ」
 そうだ、そうだろう。彼はジェニーのために、ジェニーが愛する王を守ってくれたのだ。
 ジェニーは何度も頷いた。
 王のためだけにとっておいた涙は、もう枯渇したはずだ。涙を流す機会なんて、もうないはずだった。そんな機会など、要らなかった。なのに、どうして、ジェニーの涙は止まってくれないのだろう。
「ローリーも一緒に連れて行って」
「もちろんだ」
 王が動こうとすると、サンジェルマンが二人の前に跪いた。「私がお連れします」
 王がジェニーの肩を抱き、ふと、不審そうにジェニーの頭を見た。
「男に見えるように髪を短く切ったのか?」
「それは“名誉の負傷”ですよ、王」
 サンジェルマンが振り返って、二人に言う。
「彼女は見事に兄の仇をとったのです」

 サンジェルマンがローレンを担いで歩き出し、ジェニーと王が踵を返すと、部屋の戸口にケインが気後れしたように立っていた。
「無事に会えたんだ。よかったね」
 ジェニーと目が合うと、ケインが笑った。
 ジェニーの心配に反し、王はケインに怒鳴らなかった。怒っている様子も見せなかった。それにはケインも気づいたようで、彼は、王にぎこちなく笑いかける。王が、静かに頷いた。
「ご無事で何よりです」
「……こんなところにまで、よう来たな」
 ケインは驚いたように眉をあげたが、すぐにいつものような笑みに戻った。
「だって、あなたはヴィレールの王じゃないですか」
「おまえは――俺を許さぬと思うておったが」
「うーん。まあ、そう思ったことはあるけど……私の兄だし」
 王は眉をひそめ、彼から床に視線を落とす。
「……そうだな。今後は、もっと兄らしくなることを考えよう」
「そんなこと、いいよ。私の代わりに面倒な王位を継いでくれてるんだから、それで十分。私はとてもじゃないけど、兄上みたいに国や民のことを考えて行動なんかできないよ。私は好きな場所で好きな人たちだけに囲まれて暮らしたい。まあ、そりゃあ……ジェニーを失うのはとっても残念だけど」
 ジェニーを見て、ケインは笑う。
 王が咳きこみ、ジェニーの肩にまわされた彼の腕に重みが増した。
「城内に煙が充満してきたのかもしれません。王、早くここから脱出しましょう」
 ああ、と王はサンジェルマンに答え、ケインに顔を上げた。
「ジェニーに俺の体は負担だ。……ケイン、おまえの肩を貸せ」
 数秒間、ケインは王の顔を見て沈黙した。王も無言で見つめ返している。
 やがて、ケインがこわばった表情で王に歩み寄る。
 ケインに腕をとられても王は何も言わなかった。二人は言葉を交わさない。
 だが、王がケインに肩を預けると、ケインは王を見ながら微笑んだ。王は目を閉じ、ジェニーと繋いだ手をゆっくりと握りしめた。
 

 ライアンの守る階段までたどり着くと、そこは既にヴィレールの兵士たちによって占拠されていた。しかし、ジェニーが探すライアンの姿はそこにはなかった。
「ライアン殿は兵士たちに先に連れていかせました」
 ジェニーに語りかけるように、サンジェルマンは言う。
「王、あとで彼にお会いになってあげてください。ご立派でしたよ。ジェニー、彼が最期まで離さなかった剣は、あなたが貰ってやってほしい」
 ジェニーはライアンと最後に会った、数人の死体が置き去りにされた階段の壁際を見た。彼がジェニーを見上げ、最後に流した純粋な涙は、まだジェニーの脳裏に焼きついている。
「残りの者はまだ捜索中です」
 ――ユーゴとアドレーの安否はまだ不明なのだ。
 ジェニーは腕に巻きつけていたアドレーの首飾りを外した。
「ゴーティス王、アドレーから預かってる物があるの」
「アドレー、だと?」
 ジェニーが差し出して見せた首飾りを、王は目を細めて見つめる。
「これは……エレノアの首飾りではないか」
「そうよ。彼の一カ月前に亡くなった奥さんの形見なの」
 王が驚いた。
「エレノアが死んだのか?」
「そうよ。だから、アドレーは彼女の代わりにあなたに直接お礼を言いたいって……ここまで一緒に来たのよ」
 その先を、王はジェニーの口から聞かなくても察したようだ。ジェニーの手から首飾りを受け取ると、彼はしばらく、それをじっと眺めていた。
「アドレーはいい人ね。カミーユともいっぱい遊んでくれたわ」
「あの娘は俺に似て可愛い。かまいたくなるのも当然だ」
 ジェニーの前で決して認めなかった娘との親子関係を、彼はあっさりと口にする。ジェニーがつい唖然とすると、王はジェニーに手を伸ばした。
「カミーユに弟を作ってやろう。おまえの息子ならきっと、賢く、たくましく育つ。王としてふさわしい人間に育つだろう」
 王と手を繋ぎかけ、ジェニーは立ち止った。胸が鋭く痛んだ。
「……私は王妃にはならないわ」
 王は優しく、微笑み続ける。
「俺は、おまえにこのゴーティスの妻になれと言うておるだけだ。王妃ではない」
「同じことよ」
「同じではない」
「同じよ!」
「あいかわらず頑固な女だな。この俺の妻になるのが嫌なのか?」
 王に肩を貸すケインが二人の会話を聞き、おかしそうに笑う。
「ジェニー、何が問題なの? 妻になれば王に毎日会えるんだよ。食事も一緒だ。王の寝室だって、入りたい放題」
 妻の座にこだわりはなくても、どれもこれもジェニーが切望するものだ。彼と目覚め、彼と同じ食卓につき、毎日を笑いながら過ごすのは、どんなに素敵なことだろう。会いたいときに彼が手の届く近さにいることは、ジェニーがずっと、いつも、願い続けてきたことだ。
 ジェニーと繋いだ手を、王はぐいと引き寄せる。
「ジェニー、何が不満だ?」
「あなたにはもっと条件のいい妃候補がいるはずでしょう? その方がヴィレールの為になるの、だからよ」
 先に進んでいたサンジェルマンが振り返った。
「ジェニー、王と結婚した方がいい」
 ジェニーと視線がぶつかると、彼はにっこりと笑った。
「あなたは王とヴィレールの国のことを想い、民からも想われている。あなたの行動に感銘を受け、今回の援軍にどれだけの一般の民が志願したのか――あなたはわかっていないだろう。つべこべ言わないで、素直に王と結婚なさい」
 彼の驚きの発言にジェニーが王に振り返ると、彼はいたずらっ子のように笑って、眉をつり上げた。
「サンジェルマンの許可が出たぞ」
 ジェニーは口を押さえた。視界が涙で消えていく。
「このゴーティスの妻になれ、ジェニー。よいな?」
 ジェニーが王に首を縦に振る前に、彼は笑いながらジェニーの唇に唇を押しつけた。



 湖から吹き抜ける風の轟音とばかり思っていた音は、ジェニーたちが階下に向かうにつれ、人々の声だとわかる。
 かなりの人数だ。前方に見えてきた玄関を通し、大合唱が聞こえる。彼らが歌っているのは「勇者の詩」だ。ジェニーが闘技大会で耳にした、勇者を讃える歌。
「ケイン、もうよい」
 王がケインの手から離れ、一人で歩こうとした。だが、ここに着く途中から言葉を発しなくなった彼は、実はかなり弱っているようだ。ケインの支えを失い、王の足が大きくふらついた。
「まだ無理だ、兄上!」
「構うな!」
 王は厳しく言い放ち、壁に手をついて呼吸を荒げる。
「そんなこと言ったって……」
 なおも王に手を貸そうとするケインを、ジェニーはやんわりと止めた。
「いいの、ケイン。王は、ここからは自分の足で歩いていかなきゃならないの」
「なんで? あんなに具合が悪いんだよ?」
「彼はヴィレールの王なのよ。いいの」
「いいのですよ」
 サンジェルマンが、ジェニーを見て微笑んだ。
 呼吸を整えながら、王がジェニーに振り返って、弱々しく笑う。

 足をひきずるように歩いていた王が、朝の光に溶けるにつれ、背をまっすぐに伸ばしていく。
 大歓声だ。彼らの求める、彼らの王が姿を現し、大合唱は城にとどろくほどの大歓声に変わる。王が手を振ると、彼の無事を喜ぶ歓声が山のあちこちに反響して、ジェニーの立つ石の床が振動する。
 ジェニーは王の背中を見つめ、腕の鳥肌をなでた。
 彼を愛せるだけでも幸せなのに、これから先の彼が創りだす人生に付きあえるなんて、わくわくする。彼の一歩一歩を、ジェニーは追っていけるだろうか?
「王が帰れたのはあなたのおかげだ」
 ジェニーは、隣に立つサンジェルマンの誇らしそうな笑顔を見上げた。
「私だけじゃないわ。あなたやライアン様……みんなの力よ」
 彼は笑いながら、否定する。
「私が言ったのはそういう意味じゃない」
 

 歓声がいつのまにか自分を呼ぶ声に変わっていた。弱い朝日の中で、王の手がジェニーを呼んでいる。彼の髪は朝日と同化して、まるで天使のようだ。
 彼が放つ光はあまりに眩しくて、ジェニーは目を細める。でも、ジェニーが伸ばした手を、彼の手は確かに導いてくれる。
 ああ、きっと大丈夫だ。
 彼が一緒なら、きっと大丈夫。
 彼が起こす奇跡の一片一片を、ジェニーはこの先も必ず、ずっと見守っていける。



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6/14に鍵コメントをくれた茉○さん 

コメント、ありがとうございました!
やっと、やーっと、終わりました。
こんなに長いお話を最後まで読んでいただいて、ほんとに感謝ものです。

その後のお話については、私としては「皆さんの想像にお任せストーリー」で考えていました。
自由に想像してもらえるように…という意味も込めて、ああいったラストシーンで物語は終わったんですね。
考えていた外伝は過去のものだけでした。

…が、意外にリクエストをたくさん頂戴したので、ちょっと書いてみる気になってます(笑)。
今月中だとムリかもしれませんが、そのうち掲載しますので、また読んでやって下さい。

ありがとうございました!

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