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7.王の帰郷

2010.05.09  *Edit 

hpim3279.jpg

 カイルが去ったあと、部屋に一人取り残されたゴーティスは、小さな四角い窓から外を眺めた。青い湖面、その背景となる深緑色の木々が密集する山。だが、正面の山の両隣にあるのは禿山だ。周辺には、断層が目立つ険しい山塊が広がっている。
 首を伸ばして窓から顔をのぞかせたゴーティスは、その窓の下が崖であると気づいた。崖面の下方には、黄土色や明るい茶色の屋根が連なる、小さな集落がある。どの家も小さく、建物の間が非常に狭い。湖と崖に挟まれ限られた平地に、家を無理やりに詰め込んだような町だ。人は一人も見えず、通り道すら、ゴーティスの目では確認できなかった。
「失礼します」
 おもむろに聞こえた女の細い声で、ゴーティスは入口に振り返る。
 入ってきたのは女が三人、いずれも若い娘ばかりだ。先頭に立つ、灰色に近い金髪の女がゴーティスに軽く膝を曲げ、挨拶した。
「王の着替えをお持ちしました。晩餐会にはこちらの服をお召しください。私どもが着替えを手伝います」
 強い訛りはあるが、流暢なユーロ語だ。
 女は目と目の間がやや離れていたが、灰色がかった青い瞳が印象的だった。えらが目立つというほどではないが、比較的四角い顔をしている。肌の色は驚くほどに白い。
 彼女はゴーティスの視線に気づき、濃い眉毛を少し寄せて、恥らうように頬を染めた。

 ゴーティスが異国調の装いに着付けられた頃、これまで旅商人の軽装でしかなかったカイルも黒と赤の服に身を包み、ゴーティスを迎えにやって来た。ゴーティスを一目見るなり、彼は満足そうににやりと笑う。
「我が主人がお待ちかねだ」
 黒塗りの大きな扉を抜けると、給仕らしき男女が壁に沿って一列に並んでいた。部屋の中央には、扉と同じような、黒塗りの楕円形のテーブルがある。テーブルの短辺側ではなく長辺側に、お互いが向かいあうように、皿が二名分用意されていた。しかし、部屋のどこにも主人らしき姿はない。
 ゴーティスが席で待つこと数分、主人の到着が知らされた。とうとう、レオポルドとの対決のときが来たのだ。
 カイルが扉を開くなり、まるで走ってきたかのように息を切らし、髪の分け目に白髪が目立つ男が入ってくる。
 男の口髭と眉毛は濃く茶色かったが、髪の生え際はほぼ真っ白だ。しかし、えらのはった顔はたるみが目立たず、肌にはつやがある。唇も血色がよく、周りに皺があまりない。一見、孫のいる世代にも見えたが、彼の実年齢は若そうだ。
 男はテーブルの前で立ち止まると、丸く大きな灰色の瞳をさらに大きく見開いて、ゴーティスを見た。
「おお、ゴーティス王!」
 ゴーティスは彼の顔をもう一度よく注視し、心当たりを総ざらいしてみた。だが、目の前の男と、ゴーティスは面識がない。
 男は両手の指にはめた水晶をきらめかせ、興奮したように数度、手を打った。
「これはまさに……近くで見れば見るほどに、麗しい王……」
 男はゴーティスの正面に席を取り、ゴーティスと視線が合うと、口元をだらしなくゆるめて笑顔になる。彼の視線が、ゴーティスの顔や体に無遠慮にまとわりつく。
 吐き気がした。浴場でカイルに感じたときと同じ不快さが、ゴーティスの背に走る。
「以前から群を抜く美しい少年ではあったが……おお、噂に違えぬ麗しい王に成長されたこと。王にこうして直にお会いできて光栄だ。ゴーティス王、我が国は王を歓迎する! 私はマキシム王レオポルドだ」
 マキシム王がゴーティスに敬意を表して頭を垂れたが、ゴーティスは返事をしなかった。ここは一貴族の住まいにしては立派だと思っていたが、一国の王が住む居城だとは夢にも思わなかった。まさか、仮にも国を預かる立場の人間が、他国の王であるゴーティスを白昼堂々と誘拐するとは、思いもしなかったのだ。
 だが、マキシム王は、ゴーティスが呆れようが怒ろうが、気にしていない。ただ目尻を下げてゴーティスを見るだけだ。
「我が国の衣装がよう似合う」
「お褒めにあずかり光栄だ」
 ゴーティスが初めて口を開くと、マキシム王は目を輝かせた。
「気に入られたなら何着でも用意させよう」
「せっかくだが結構だ」ゴーティスは頭(かぶり)を振った。「マキシム王、国に招待されるのは嬉しいが、やり方がいささか乱暴ではないか?」
 マキシム王の視線が入口付近にいたカイルに流れた。
「おや、私の部下が礼を欠いたか? 私はあの男を信頼して一任しておったが……失礼があったならお詫びしよう」
 カイルは床を見つめていたが、マキシム王が頭を下げると、ひどく苦痛そうに顔をしかめた。
「謝罪は結構だ。マキシム王、この国への正式訪問はあらたに調整させてもらうとして、ここはひとまず、俺が本国に帰る手はずを整えてもらえぬか? 王の俺が突然いなくなれば国も困る。統治者である貴殿であれば、それもご理解いただけよう」
 マキシム王は納得しかねる様子で、椅子に腰を降ろした。
「ふむ……。だが、数日間くらいよかろう? 正妃がおらぬ自由な身だ、せっかくの機会を存分に楽しめばよいのに」
 ゴーティスはまた頭を振った。
「日程については事前に調整させてもらいたい」
 ゴーティスが念を押すと、マキシム王は不思議そうに首をかしげた。
「私に合わせて日程を調整した結果、本日の対面になったのだが……いけなかったか?」
「……なに?」
 マキシム王の発言にゴーティスが眉をひそめると、彼はカイルに何やら合図を送った。カイルを見送り、マキシム王を見ると、彼は満面の笑みでゴーティスの視線を迎えた。
「王にお渡しするものがあったことをすっかり忘れておった。今、奴に取りに行かせたゆえ、しばし待たれよ」

 カイルは間もなく部屋に戻り、マキシム王の席の隣に立った。彼は主人を見惚れるように見つめ、マキシム王が耳打ちすると、幸せそうに微笑んだ。ゴーティスが不審に思ってカイルを見ていると、それに気づいた彼の唇に、悪意に満ちた笑みがいっぱいに広がった。
 突然、カイルがテーブルの上に何かを放り投げた。淡い黄色に赤い斑模様の、重量のある物体。その端が皿にぶつかって騒がしい高音が発せられ、ゴーティスは思わず目をつぶった。
 目を開くと、ゴーティスの前にある皿の上に、鞘に納まったままの短剣があった。見覚えのある剣(つるぎ)の図柄、そして、鞘のゆるやかな曲線。
(これはジェニーの短剣だ)
 短剣の先を目で追ったゴーティスは、その柄をしっかりと握る血まみれの女の手を見とめ、息を飲みそうになる。女の小さく細い指がつく手は、肘より先が失われていた。その腕は、ジェニーが拉致された日に着ていた、淡い黄色の服にぴったりと包まれている。
 カイルが笑った。
「はは、あんたの大事なジェニーだよ!」
 ゴーティスが怒りを込めてマキシム王を見ると、彼は眉を下げ、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「この男は短気でね。聞けば、王の愛妾ジェニーとやらは少々勇ましい女とか? カイルの短気さゆえに、いや、ちょっとした手違いが生じてしまったようだ。まことにすまない」
 ゴーティスは彼の表面的な謝罪を無視し、短剣を握る女の手に目を移した。その手の小ささはジェニーと変わらないが、どの指もゴーティスが覚えているジェニーとは違う。爪の形も違う。ゴーティスは殊更、彼女の手のことならよく知っている。
「……酷いことを」
 ジェニーの身代わりとなって、腕の半分を切り落とされた女がいる。だが、その事実は、彼らがジェニーを手の内においていないと示すものだ。本物がいれば、ここにある手はジェニーであるはず。
 ジェニーは城内にはいない。おそらくは、城に入ってもいない。
 ゴーティスは卓上に投げ出された、哀れな女の片腕を見つめた。血はすっかり乾き、黒に近い色に変わっている。
「こやつはジェニーではない。ジェニーをどうした? この国に入る前に山中で捨てたか?」
 ゴーティスが顔を上げると、それまでにやけていたカイルが唇を閉じた。
 ジェニーがこの城内にいないことは確かなようだ。そして、城にいないのなら、彼女の命が既に消えてしまっている可能性も高い。
 彼らが、女に対する最悪の拷問の末にジェニーを死に至らしめたのなら、ゴーティスへの謝罪など無意味だ。
 自分の身だけ気に掛ければいいとすれば、ゴーティスがこの城に滞在する目的は一つしかない。彼らの末路も、一つしかない。
 ゴーティスは、見知らぬ女の手が握る、ジェニーの短剣にかけて誓う。
 ヴィレールの王を居城に連れてきたことを、彼ら自身が死んだ後にまで後悔させてやろう。


 四日間が何ごともなく過ぎた。マキシム王の意図は掴めずじまいだが、彼はゴーティスを解放する気だけはないようだ。
 初日以降、マキシム王と面会する機会はなく、ゴーティスが部屋から出ることもなかった。カイルも一度も姿を見せなかった。食事は毎日提供されたが、毒を隠しにくいパン以外には口をつけなかった。
 窓から見える景色はちっとも変わらなかった。青い湖と緑色の山、その色の濃淡もまったく同じ。崖下を見下ろしてみても、やはり人影は見えない。
 窓の正面に見える山を毎日眺めると、ゴーティスは、山中に無残に捨てられたジェニーの体が朽ちていく様を想像した。
 自分と関わったばかりに、ジェニーが不本意な死を遂げる――。
 気が狂いそうだった。ジェニーが行方不明だった二年間で、ゴーティスは一生分の苦痛を負ったはずだ。彼女と再会して二度とその手を放すまいと決めたのに、マキシム王はいとも簡単に、ゴーティスと繋がれたジェニーの手を切り去ってしまった。カイルがテーブルの上に投げた、あの女の手のように。
 マキシム王とカイルの命を奪っても、ジェニーは帰らない。だが、それでも、たとえ彼女が戻らなくても、ゴーティスは二人に報復する。何度も、何度でも。何百回彼らを殺したとしても、殺し足りないだろうけれど。

 そして、五日目の夜、事件は起きた。真夜中のことだ。
 心身ともに消耗していて、ゴーティスは寝台の上で眠りに落ちかかっていた。夢に足を踏み入れる一歩手前で、ゴーティスは扉が小さくたたかれる音を聞いた。
「ゴーティス王……?」
 開いた扉から体を滑りこませてきたのは、ユーロ語を操る女だ。ゴーティスは咄嗟に寝台の隙間に手を伸ばし、武器として代用できる“串”を取り出した。
「何の用だ」
 女は寝台に座ったゴーティスの前で、床に膝をついた。
「レオポルド王より、王をお慰めするよう、仰せつかってまいりました」
 ゴーティスはその言葉を疑い、女の全身に目を走らせた。女の身に着ける薄い生地の下に武器は隠せないだろうが、油断は禁物だ。
「俺に慰めは必要ない」
 女は頭を深く垂れ、懇願した。
「どうか、お願いでございます。今宵は私をお側に……」
「帰れ」
 女の肩がひどく揺れていた。緊張しているのか、固く握り締められた彼女の手も、気の毒なほどに震えている。
 女が顔を上げ、ゴーティスは後ろ手に持った串を強く握った。女が立ち上がりながら、肩から服を滑り落とす。薄手の白い服の下から、女の白い肌が現れた。
「俺に近寄るな」
 ゴーティスが立ち上がっても、女は止まらなかった。
「ゴーティス王……」
 女の手がゴーティスの胸に伸び、反射的に、ゴーティスは彼女の両手首を捻りあげて、床に押し倒した。女の顔にはっきりとした恐怖が浮かびあがったが、それはゴーティスに対してではない。女は“何か”にひどく怯えていた。
 そのとき、ゴーティスはかすかな異音を耳にして、入口扉に振り返った。人の気配だ。ゴーティスが感じた異変は、扉の外に存在する見張りの衛兵ではない者を感じとって、強烈な警戒心にすり変わる。
 すると、扉の上部に付いた小さな覗き窓が横に開いた。ゴーティスが不審に思って見ていると、そこに二つの目玉が光り、ぎょろりと動いた。その不気味な目がゴーティスと合ったとき、ゴーティスは隠し持っていた鉄の串をそれに向かって思い切り投げつけた。
「ぎゃあっ!」
「レオポルド様!」
 廊下で衝撃音がして、その直後、カイルが烈火のごとく怒り、入口扉から乱入してきた。ゴーティスは女を盾にして身を守ろうとしたが、間に合わなかった。
「くっ……!」
「おまえ、レオポルド様に何をする!」
 カイルに胸ぐらを激しく揺さぶられ、寝台で強打したゴーティスの頭の中がぐらついた。肘に焼けるような痛みの感覚があるのは、カイルに飛びかかられた瞬間に床にぶつけたからだ。
 ゴーティスのぼやけた視界の真ん中に、丸い顔に埋めこまれたような、黒く小さな瞳が見えた。カイルの荒い息が鼻の頭にかかり、ゴーティスは顔をそむける。彼がゴーティスの体に馬乗りになっているせいで、足が自由に動かない。
「……覗いておったとは悪趣味な……」
「うるさい! 女好きなおまえの為に、レオポルド様はご親切に女を用意してくださったのだ!」
「……俺が女をどう抱くか、見たかっただけだろう」
「何を抜かすっ……!」
 カイルの手がゴーティスの顎にかかると、マキシム王の声が飛んだ。
「私に怪我はない! カイル、王に手を出してはならん!」
 カイルの手が脱力した。
「ああ、なぜです! この王はレオポルド様を侮辱したのですよ!」
 再び彼の手がゴーティスに伸びると、マキシム王は彼を怒鳴りつけた。
「カイル! 王の美しい顔に傷をつけるつもりか! ならん、それだけは絶対に許さんぞ!」
 カイルは吼えるように短く叫び、ゴーティスをにらみつけた。そして、ゴーティスの体から降りた直後に、彼はゴーティスの痛めた腕を足で踏みつけた。あまりの痛みに、ゴーティスの気が遠のいた。
「カイル!」
 痛みを堪えて止めていた息を吐くと、ゴーティスの肩と腕に強烈な痛みが戻ってきた。床にぶつけた肘は、骨にひびが入ったかもしれない。
「すまなかった、ゴーティス王。奴は乱暴な男でな……。怪我の手当てをさせよう」
 マキシム王がゴーティスの横にしゃがんだ。
 彼の手がゴーティスの腕に伸び、ゴーティスは逃れようとした。だが、彼の手はゴーティスの負傷した腕を押さえつけ、もう片方の手で、ゴーティスの二の腕から手首にかけて指で触る。虫唾が走る感触だ。そしてその間中ずっと、マキシム王の瞳はゴーティスの顔から離れなかった。


  *  *


 カラントの街から合流したケインにユーゴは最初こそ愛想良く話しかけていたが、北の関所のある町に入る前には、彼は最後尾にいるサンジェルマンの隣に移っていた。彼はいまだにケインの正体に気づいていないが、ようやく、ケインが逃亡した罪人の身分だと知ったようだ。ケインがオルセーという貴族を名乗っていても、姪ジェニーの知人だとしても、ユーゴにとって彼は懇意にする対象ではないのだ。
 サンジェルマンはカラントを発って以来、一行の最後尾にずっと留まっていた。その位置にいれば、たとえケインが不審な行動をとったとしても、真っ先に目につく。
 サンジェルマンはケインの言葉全てを鵜呑みにはしていない。王に恨みを抱いていてもおかしくないケインが、彼が好意を持つジェニーの為とはいえ、王の救出に動くかは甚だ疑問だ。むしろ、逆ではないか? いつのまにか剣を使えるようになっていた彼に、サンジェルマンはさらに懐疑的になっている。
 ケインの方もサンジェルマンからの疑いを察してか、常に距離をとり、前方にいるジェニーやアドレーの近くから離れようとしない。宿屋でも休憩時でも、彼はサンジェルマンとの接触を極力避けている。必要でない限り、二人は一言も言葉を交わしていない。
 先頭を行くジェニーたちの頭の向こうに、町のはずれにある関所の門が見えてきた。町の外からでも望める黄土色の壁が、国境の存在を皆に知らしめるようにそびえ立っている。サンジェルマンが今目にするその門を抜け、カイル率いる一行は王を国外に連れ去ったのだ。
(王を国外に連れ去るなど、よくもできたものだ……!)
 サンジェルマンは沸々とこみあがってくる怒りを、手のひらの中に閉じ込めた。隣に並ぶライアンに注意を向けられたのに気づき、サンジェルマンは手を握り締めたまま、前方でローレンと談笑するアドレーに視線を移した。
 王城を出発してから、サンジェルマンはその行為をもう幾度繰り返したことか。強く握りすぎて左手が震える。呼吸を整えつつ、怒りが抑制できるところまで落ち着くのをひたすら待つ。でも、そのうち、サンジェルマンの怒りが手のひらの中に収まりきらなくなる時が、来てしまうのだろう。


 国境の町でサンジェルマンたちは宿をとる。宿屋にライアンとジェニー、ケインを残し、残りの者たちは、食料と野宿用の品を確保するため、街に出かける。
 約一週間前、オルセー家の依頼書を持った商人たちが北の関所から出国したと確認された。何度か出入国を繰り返している商隊だという。行き先はフランドル地方と申告したらしいが、ローレンが以前話したように、彼らはマキシム王国を目指している線が濃厚だ。
 マキシム王国は陸の孤島と呼ばれる場所だ。岩塩のとれる山塊の切り立った崖を背に、静かな湖との間にあるわずかな平地に建立された小さな国。国に入るには、山側に一ヶ所しかない関所を通り抜けるか、湖の対岸から水上で近づく。そして、そのどちらを選択するにしろ、山越えを伴う。
 夕方前に宿屋に戻ってきたサンジェルマンは、反対方向から歩いて戻ってくるユーゴを見つけ、驚いた。カラントで深夜戻ってきたユーゴをライアンが一喝してから、彼はさすがに夜遅くまで出歩くことはなくなった。だが、活気のあるこの街には飲み屋も娼館も多く、ユーゴは誘惑に勝てず、多少遊んでくるだろうとサンジェルマンは思っていたのだ。
 宿屋の前で会ったユーゴは落ち着かない様子だった。
「街の声をお聞きになりましたか、サンジェルマン様?」
「いや。何か気になる噂が?」
 ええ、とユーゴは頷き、二人は宿に入る。
 宿の主人は少し前に来たばかりらしい旅人にちょうど対応中だった。二人は一階を奥に進み、裏口に通じる扉に向かう。ユーゴが先に立って扉を押し、二人はまだ明るい外に出た。
「サンジェルマン様、私の入った店の先々では、王の誘拐の噂で持ちきりでしたよ」
 別にそれほど驚くことではない。いくら隠し通そうと、遅かれ早かれ、どこかから漏れてしまうのは予想の範疇だ。
「ライアン殿が城に連絡し、軍の部隊を動員させている。もうこちらに向かっているはずだ。軍が動けば、王の不在も人々の知るところになろう」
 ユーゴが首を激しく振った。
「いえ、皆は、ジェニーが一部の共を連れて王の救出に向かったことを知り、騒いでいるのです。彼らはなぜか、私たちが北の関所を通過することを知っているのですよ! 自分たちもジェニーに続けと、彼らは武器を手に取り、関所の前に人が集まり始めています」
 街は様々な人と荷物が行き交い、その活気の裏で非日常の事態が起こっていることなど、サンジェルマンはまったく気がつかなかった。
「……それは本当か、ユーゴ殿?」
 二人の脇から、男が会話に参加してきた。ライアンだ。
「この町の部隊ではなく、一般庶民からそんな声が出ているということか?」
 ライアンは汗に濡れた額を腕で拭いながら、ユーゴに確認する。
「そのとおりです。関所に向かう途中でジェニーが彼らの言う“王のジェニー”と分かれば、我々は民に囲まれますよ」
 ライアンが不可解そうに眉を寄せ、後ろを振り返った。彼の後方に、ケインとローレンが並んで立っていた。そしてそのもっと奥にある水場では、ジェニーが手を洗っていた。


 ヴィレールの国境を越える前夜、旅を通して決して協力的でなく、友好的でもなかったローレンが、全員を一室に集めて話し始めた。
「マキシム王国に着くまで、たぶん、二日だ。俺以外にあの国を訪れた者は……ここにいないだろう? 入国するにあたって、ひとつ提案がある」
 ローレンは荷物の入った袋に手を入れ、白い石のような塊を取り出した。手のひらに収まる大きさだ。片面が平らに削られ、赤と黒の幾何学模様が細かく彫られている。彼はそれを、マキシムの通行証だと紹介した。
「ああ、でも、提案じゃなくて指示か。ここにいる皆、それに俺たちを追ってきてるヴィレール軍にも、俺の今から言うことに従ってもらいたい。でなきゃ、余所者を歓迎しないあの国に入るのは無理だ」
 立地的にも孤立している国は、近隣諸国から攻撃や干渉を受けない代わりに、外部の人間が流入することも少ない。マキシム王国が閉鎖的なのは有名だ。商品価値の高い岩塩や水晶といった天然資源に恵まれているのに、彼らはごく限られた相手としか貿易を行わない。そして、その希少さゆえに、商品の値はつり上がるのだ。
 サンジェルマンは居並ぶ面々の顔を見た。ライアンからの反論もなかった。
 ローレンはジェニーを見てにこりと笑い、ライアンに向いた。
「まず、ヴィレール軍だ」
 ローレンは、テーブルに広げた地図上にあるマキシム王国の関所を指差した。
「軍は山方面からじゃ国に入れない。一部は山にある関所付近に残ってもいいけど、湖の対岸から船で来るんだ。どれだけの人数が来るのか知らないけど、千人ぐらい――」
 ライアンがその倍以上の人数に訂正し、ローレンは肩をすくめた。
「そんなにいるなら、マキシムを湖側から封鎖できる」
 ライアンはにこりともせず、淡々と返した。
「わかった。すぐに手配しよう」
 それから、ローレンの指は地図を移動し、関所の隣にある山の上に置かれた。
「これがマキシム王のいる城の裏手にある山だ。ここは岩塩の採掘が行われていて、塩坑が何本か通ってる。当然、そのどれもマキシム側からでないと入れないし、途中で行き止まりになってるんだけど、二本だけ、外に通じている塩坑があるんだ。山の反対側、つまり、国外だよ。しかも、その二本とも、入口は城の地下にある」
 アドレーが口笛を鳴らした。
「城からの抜け道か!」
「そういうこと」
 ローレンは笑い、仲間を見回す。
「だから、一本の道は通れないように破壊して、もう一本の塩坑を抜ければいい。道は険しくて曲がりくねってるけど、一本道だ。城まで迷うことはないよ。俺は、皆が塩坑をたどっている間に、関所を通って城に入る。皆が着く前に、誰かが城側の入口の鍵を開けておかなきゃならないから」
「でも、それじゃ、ローリーが危険だわ」
 隣で心配するジェニーを、ローレンがじっと見つめた。
「危険には慣れてるよ」
「だけどローリー、剣だってうまく扱えないでしょう?」
「前よりはね」
 ローレンが左手を上げて笑っても、ジェニーは納得しない。彼はさらに笑って、妹の頬を手で撫でた。
「ここにいる全員が、おまえだって、かなり危険なことをしようとしてる。おまえは俺が止めたところで行くのをやめないんだろう? ……だったら、その危険を少しでも減らすぐらいしか、俺にできることはないよ」
 ローリー、と呟いたジェニーが兄の胸に抱き寄せられた。ローレンは硬い表情で彼女の頭に唇をつけ、彼女の背を撫で続けている。
 旅の途中、サンジェルマンは何度もジェニーが涙を堪える姿を目にしてきたが、このときばかりは、兄の思いやりに接して彼女も泣き出すだろうと思った。彼女の瞳はたしかに震えていた。
 しかし、ジェニーは泣かなかった。
 壁面の一点を見つめるジェニーの瞳には、無事な王の姿しか映っていない。涙で瞳をにごらせ、彼女は王の姿を見失いたくないのだ。実際に王を目の前にするまで、彼女は、涙に屈することはない。
「私が一緒に行こう」
 サンジェルマンの放った言葉に、ローレンが驚いて顔を上げた。
「私の顔を知る者がいるか? いなければ、私が同行する」
「冗談じゃない! あんたに守ってもらうほど、俺は落ちぶれちゃいない!」
「誰が守ると言った? 私が同行するのは、おまえが敵に寝返らず、約束どおりに入口を開けるのを見届けるためだ。私は王を救い出したいだけだ」
 ローレンはその申し出をはねつけ、必死で抵抗した。だが、彼が最終的にサンジェルマンの同行を受け入れたのは、ジェニーが説得したからだ。
 ジェニーは、サンジェルマンが兄の強力な協力者となることを、旅の最初から既に知っている。


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5/11 シークレットコメントをくださったNさん 

こんにちは。

嬉しいお言葉を、どうもありがとうございます!
こちらこそ、読んでくださるだけで十分嬉しいのに、わざわざコメントまで寄せていただいて、すごく嬉しいです。

はー、でも、これはほんっとに長々と書いてしまってる作品でして。
当初の予定を大幅に超えてしまいました。
よくあるケイタイ小説とは違う書体なので、目に(手にも)負担ですよね(笑)

それでも、読んで+応援してくださる皆さんのおかげで、ついに完成間近。
最後のもうひとふんばり、がんばって執筆しようと思います。
ラストの一行まで楽しんでもらえるように。。。
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