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7.王の帰郷

2010.04.06  *Edit 

 ベアール家と近衛隊が必死になってジェニーの捜索を行っているが、行方はまだ掴めていない。ジェニーが襲撃に遭った頃、ヴィスコンデールに入る道は近衛隊によって全てが封鎖されていたため、彼女を拉致した集団は街を避け、郊外にまわったとみられる。
 ジェニーの馬車に同乗した近衛の男は、馬車に足を轢かれ、骨を砕かれる大怪我をして道に倒れていたところを農夫に発見された。男が意識を失う前、襲撃した一団には六人の男がいたと証言したそうだ。一団の主は“マルセル”の名を語る男で、ジェニーはその男を見て咆驚(きっきょう)していたという。
 今朝早くにヴィスコンデールで捕らえられた“マルセル”は、ゴーティスたちの捜し求めていた男ではなかったのだ。人違いだった。本物は捜索の網をかい潜り、今、ジェニーとともにいる。
 闘技場での事件に引き続き、彼らは誰かの命令に基づき、動いている。
 誰だ? なぜ今、ジェニーを連れ去るのだろう?
 ジェニーの命と引き換えに、ゴーティスに何か――例えば、莫大な身代金を要求するつもりなのか。ヴィレール王ゴーティスの命が望みなのか。
 それとも、ジェニーの命そのものを奪うことが目的なのか。
 ゴーティスを憎むあまり、その憎悪が彼女に向けられたのだろうか? 今であれば、ジェニーが王妃候補として名を連ねるのをよしとしない貴族の誰かが、強硬手段に出たという場合もある。
 けれども、どんな理由があったにしろ、ジェニーを拉致するのは卑劣で卑怯だ。正々堂々とゴーティスに対峙すればいい。
 行き場のない怒りに体が蝕まれ、どうにもできない現状に、何もできない自分に、ゴーティスは地団駄を踏む。
 早く時が経って、ジェニー発見の知らせを手にしたい。そう思うと、時間はあまりに遅々として進まない。だが、その知らせはゴーティスが待ち望んでいるものだとも限らない。こうしている間にも、ジェニーが死に瀕していることもありえる。そう思うと、少しでも時間が遅々と過ぎ、彼女が死から逃れられるようにと、ゴーティスは願わずにいられない。
 常に自らの死が身近だと感じているゴーティスにとって、ジェニーの死を想像する方がはるかに難しく、ずっと恐ろしい。自分が死ぬことを怖いとも感じないのに、ジェニーの死は、こんなにも自分を怯えさせる。
 ヴィスコンデールの街がある方角を眺めると、ゴーティスの心は急に、恐怖にすくむ。



 何の手がかりも得られないうちに夜の帳(とばり)が落ちた。小城でゴーティスに会う者たちは、全員が言葉少なく、沈痛な面持ちだ。気のせいか、屋内の照明さえいつもより暗い。
 ゴーティスは階段をゆっくりと上がり、ジェニーの寝室に入った。空気の流れが止まり、静まりかえっている。最近になってこの小城に加わった匂い、可憐な花の香りがかすかに残っている。
 ジェニーのいないときにゴーティスがこの部屋に入るのは、彼女を小城にあげるのを待っていた期間、彼女に見せるための庭をひとりで眺めたとき以来だ。今と同じ季節だった。あれから、早一年が過ぎようとしている。
 部屋の中央に置かれた寝台に腰掛け、ゴーティスは室内をぐるりと見回した。丸テーブルの位置も二脚の椅子の向きも、ゴーティスの目が覚えているとおりだ。壁を飾る横長の風景画、金の鏡、箪笥の上にある香水の瓶の並べ方も、何も変わってはいない。
 普段と変わりない室内の様子を確認すると、ゴーティスはほっと安堵する。実際には何の説得力もないが、ジェニーの部屋に何の異常も見られないのなら、主人の彼女もまた無事だと思えるのだ。
 だが、彼女の部屋の片隅には、二本の剣がそっくり残っていた。ライアンの見立てによれば、ジェニーは力で男と競り合うことは無理でも、剣をうまくかわし、反撃できる程度の腕はあるそうだ。六人の敵に囲まれていても、剣の一本があるだけで、心強さはまったく違っただろうのに。
 近衛に周りを固められ、ジェニーは少し油断したのだろう。いや、ジェニーだけではなく、彼女の周囲もゴーティスも、ベアール家までの比較的安全な道のりについ油断をしたのだ。迂闊だった。
 ゴーティスは、以前は自らに属した剣の鞘に指でそっと触れた。十四の年、ゴーティスが初めて人を殺めた剣だ。ジェニーはまだ実際に使ったことはないだろう。その隣にある、ベアール家の家紋が入った剣も。
 じわじわと胸に迫りくる焦りを何とか抑え、ゴーティスは剣から手を引いた。そしてそのとき、ゴーティスは気づいた。剣の隣に据えられた箪笥のいちばん下の引き出しが、わずかに開いている。
 普段なら興味も引かれないだろうが、ゴーティスは迷わずそこに手を伸ばした。手紙らしき巻物が二つ、置き去りにされたように、がらんとした引き出しの中に入っていた。
「……手紙?」
 両方とも上等な、同じ材質の紙だ。破かれた封印の家紋はもう確認できないが、おそらく、フィリップからだ。
 他の男からの可能性を完全に否定しきれず、ゴーティスは手前にあった手紙を取り出し、それを開いた。現れた文字は、ゴーティスが見知ったものだ。やはり、フィリップだ。
 ところが、ゴーティスがほっとしたのも束の間、その手紙には、もう一通の手紙が巻き込まれていた。
 ゴーティスは数秒間、フィリップの手紙に隠されていたその手紙を見つめた。漠然とした不安とジェニーへの疑惑がじわりと胸に湧く。
 しかし、その手紙自体には何も書かれていなかった。
 そこに包み込まれていた第二の手紙が登場すると、ゴーティスの胸を侵す不安が胸騒ぎに移り変わる。

『女神エクリシフェに共に誓った同士、ジェニーへ』


 ゴーティスは、皆の知らないケインという男を知っている。ケインは、周囲にいる者全てが彼の味方であり、好かれていると思いたい男だ。愛されない状況が想像すらできない。受け入れられない。だから、彼は天真爛漫に、無意識に、相手に彼自身を愛するように強要する。
 過去の女たちはことごとく、ケインの無邪気な魅力に屈した。気骨のあるジェニーまでがケインに屈したのはゴーティスには許しがたい事だったが、ゴーティスは、ジェニーよりケインがどこまでも許せなかった。
 ジェニーは過去に何度もゴーティスを説得しようとした。ジェニーはケインと逃亡を果たしたが、彼とはただの一度も男女の関係になったことはない、と。
 最初にジェニーの娘に会ったサンジェルマン、女官長、王城の誰もが、“王にそっくりな”ジェニーの娘の出生に疑いを抱かなかった。皆の認識とは違うが、ゴーティスも娘の出生を疑いもしなかった。ゴーティスは自分の想いだけを頼り、自分こそが正しいのだと、皆の思い込みを心の中で疎んじた。

 ――たぶん、王によく似ているんだろう。ああ、でも、モーリスは子どもの父親が王だとは――。

 ケインの書いた文だ。手紙を見て、怒りと嫉妬に心を奪われた瞬間から、わずか一分足らずで、ゴーティスはその文章を見つけた。
 ケインのそっけない文章からは、娘への愛情の片鱗など、微塵も感じられない。それはつまり、彼が、ジェニーの娘は自分の血を分けていないと確信しているからだ。
 その下に続く文面には、ジェニーに対するケインの気持ちが綴られていたが、ゴーティスは、二人の間柄を心配することはなかった。ゴーティスの愛したジェニーは、ケインに惑わされような女ではない。
(……俺は何を怖がり、何から目を背けたかったのだろう?)
 兄弟の確執の間で、ジェニーはゴーティスの偏った思いから娘の存在を拒否され、どんなに辛かったことだろう。
 ゴーティスは手紙を強く握りしめ、顔を上げた。
 ジェニーに会いたい。
 誤解が解け、後悔の念でいっぱいのゴーティスが今すぐ会いたいのはジェニーなのに、彼女はどうしてここにいない?
 ジェニーをゴーティスの前から奪ったのは、彼の頑なな心だろうか。彼女の訴えを拒否し続けた報いだろうか。
 ゴーティスはジェニーの顔が見たかった。
 だが、どうして、ゴーティスがこんなに強く願っても、ジェニーはゴーティスの腕の中に現れないのだろう?
「早う戻ってこぬか! どこにも行かぬと俺に約束したであろう……!」
 ゴーティスは手紙を床にたたきつけた。
 彼女の耳にはもはや――ゴーティスの謝罪さえ、届かないのだろうか?


 夜の子ども部屋は静かだったが、カミーユはまだ眠っていなかった。彼女が就寝中であることをゴーティスは期待していたのだが、部屋に踏み込んでおいて今さら、後戻りもできない。
 ジェニーの留守中に顔を出したゴーティスに、乳母も世話係の女も驚愕していた。たまたま居合わせた召使の女も驚いていた。乳母の膝に寝転んでいたカミーユだけが、ゴーティスを見つけても驚きもせず、間延びした声を出した。
「オオ……オオオオ?」
 カミーユは目をこすりながら、ふらついた足取りでゴーティスに向かってくる。長い服の裾を踏みそうな、不安定な歩みだ。
 彼女の朝日のような髪はゴーティスと同じだ。瞳の緑色の濃さも同じ。
 ゴーティスは少し躊躇したものの、カミーユに向かってまっすぐに歩き始める。
 カミーユは、ゴーティスと面する一歩手前で立ち止まった。それから、ジェニーと同じ形の口を広げ、大きなあくびをする。
 ゴーティスはカミーユを見ながら膝を折り、彼女の前にしゃがみこむ。彼女の目線はゴーティスのそれより下だ。ゴーティスが床に膝をついてもなお、彼女は小さかった。
「カロリーヌ」
 名前を呼ばれると、彼女は口を開けたまま、眠そうな目をゴーティスに向ける。
 彼女に見られると、ゴーティスは先王から容赦ない視線を浴びているような気になり、落ちつかないことが多かった。だが今、彼女の目を見つめても、ゴーティスはそんな気分には陥らない。
 鏡を見ているようだ。ゴーティスがのぞきこむ瞳は、先王からゴーティスが受け継ぎ、ゴーティスから娘へと受け継がれたもの。
「カロリーヌ……いや、おまえの名はカミーユであったか」
「ウン」
 カミーユが得意そうに眉を上げ、ゴーティスは吹き出した。子どもに威圧的なゴーティスを前にしながら、ふてぶてしいまでに平然としていられるのは、この娘ぐらいだ。ゴーティスはこの厚顔さを母親譲りだとみなしているが、おそらくジェニーは父親の血だと主張して、二人は喧嘩となるだろう。
「オォ、ママはー?」
 だが、カミーユの無邪気な問いが、ゴーティスを幸福な幻想から現実に引きずり降ろした。
「……まだだ。おまえの母親はまだ出かけておる」
 カミーユが思い切り不満そうに鼻にしわを寄せた。だが、ゴーティスにしても、彼女の不本意な不在にはまったく納得していない。
「カミーユ、おまえの母親に会いたいか?」
「ウン!」
 カミーユがゴーティスの膝につかまり、大喜びでその場で何度か跳ねた。彼女のくったくのない笑顔を見ると、余計に、ジェニーの無事を願う気持ちがゴーティスの中で膨らんでくる。
「そうか。だが、もう少し辛抱しろ。……この父も、おまえの母の帰りを待っておるのだ」
 召使の女が手で顔を覆うのを、ゴーティスは視界の隅にみとめた。
「ウーン? チチー?」
 カミーユが眉間にしわを作り、腕組みをしてゴーティスを見上げた。
「ああ、父だ」
 乳母たちの視線が集まるのを意識しながら、ゴーティスはカミーユの目をのぞきこむ。
「おまえの母親がジェニーで、父はこの王だ」
 カミーユの顔がぱっと嬉しさに輝く。
「パパー!」
「……パパだと?」
 面食らうゴーティスに追い討ちをかけるように、カミーユがゴーティスの腕に飛び込んでくる。カミーユの軽く柔らかな髪がゴーティスの顔に触れ、両手がゴーティスの胸元を掴む。
 歌詞の一部に“パパ”と組み込んで歌うカミーユの声が、ゴーティスの耳の中で弾けて、飛んだ。彼女の声に導かれ、遠い昔に閉じ込めた記憶が、ゴーティスの頭の中にそよ風のように広がる。彼女の腕の優しさを、ゴーティスの両手が覚えている。
『あなたはパパにそっくりよ』
 ゴーティスが知っている声よりずっと落ちついた、楽しそうな口調。
『あなたは世界一かわいい息子よ。愛してるわ、ゴーティス』
「パパー?」
 カミーユの声はゴーティスを癒し、その耳にすんなりと溶けていく。
 ゴーティスは手に触れるカミーユを、今は亡き母を想って抱きすくめた。その体温を肌で受け入れると、ゴーティスは、母親が自分をあやしながら子どものようにはしゃぐ笑い声を思い出す。ゴーティスは、あの母親に愛されていた。

(俺はあの場所へ帰ることができるだろうか。母の愛を疑いもしなかった、あの頃の俺に)

 カミーユがゴーティスの髪をいじり始め、ゴーティスはそれをやんわりと遮る。カミーユは不満そうだったが、逆にゴーティスが彼女の髪に触れると、猫のように喉を鳴らして目を閉じた。頭を撫でられ、心地よさに目をつぶるジェニーと同じ反応だ。
「……エレーヌ、俺の髪はこんなにも柔らかだったか?」
 名を呼ばれた世話係の女が、言葉を詰まらせながら答えた。
「ええ……王がカミーユ様と同じ年の頃はとても……絹のように柔らかだったと覚えております」
 ゴーティスがカミーユの瞳を見つめると、彼女は母親ジェニーと同じように、真っ向からゴーティスを見つめ返す。
「母親がおらぬと寂しいか?」
 カミーユは“寂しい”という言葉が理解できなかったらしい。小さく首を傾げた。
「愚問だったな。俺が寂しいのだ、幼いおまえはもっと寂しかろう」
 ゴーティスはカミーユを抱き上げた。
「パパー、ママどこ?」
「そうよな、カミーユ。父は、おまえの母を取り戻さねばなるまい」
 カミーユが首を傾げ、ゴーティスは渋々、言い直した。
「……わかった、パパだ。おまえのパパは、母を必ず取り戻す」


  *  *


 光沢のある紺色のカーテンの隙間から、明るい光がこぼれ落ちている。ジェニーとアリエルがまんじりともできないうちに、長い、長い、一夜が明けたのだ。
 室内には見張りとして二人の女がいたが、大柄な金髪の女の方が窓に歩み寄り、カーテンをめくり上げた。部屋には眩さが広がり、夜の暗さに目が慣れていたジェニーは目を細める。
 ジェニーたちが、隠し持っていた短剣を取り上げられ監禁されたのは、しばらくの間は人の住んでいない、貴族の別荘らしき館だ。館の玄関口、暖炉に彫られていたらしい家紋は見事にえぐり取られ、所有者は不明だ。ジェニーもアリエルも、館の周囲は一切目にしていない。耳をすませて聞こえるのは、風が吹きつける音と廊下を時おり行き交う靴音だけだ。
 ジェニーたちのいる部屋には、別の場所から運びこまれたらしい粗末なテーブルと長椅子があるだけだ。だが、かつてこの館に住んだ人々は、それなりに身分がある人たちだったのだろう。部屋の造りは贅沢だ。重厚な扉には金箔が剥がされた跡があり、アーチ型の天井を埋め尽くすように、古代の神々が戦う場景が色鮮やかに描かれている。
 ジェニーたちがこの一室に押し込まれてから、ゆうに半日は経っている。ジェニーはもちろん、一行の誰一人としてベアール家にたどり着いていないだろう。馬車に同乗していた近衛は“マルセル”が車外に突き落とし、ジェニーたちの重みがかかる車輪に轢かれ、絶叫していた。ジェニーの紛糾を“マルセル”は「事故だ」と笑い、相手にもしなかった。

 そんな乱暴な彼ではあるが、ジェニーとアリエルの扱いは思った以上に丁寧だ。二人に危害は加えず、むやみに体に触れることもない。食事も水も十分な量が用意された。ただ、二人を部屋から一歩も外に出させないだけだ。
「おはよう、ジェニー」
 “マルセル”の笑顔は、ジェニーのぐったりした体に、反抗心という気力を湧かせる。
 彼はジェニーを見て苦笑し、テーブルの上に手をつけられずに残っている食事を見て、これ見よがしにため息をついた。
「なんだ、せっかく美味いものを用意させたのに食べてないのか。俺が、大切なあんたが口にするものに毒でも仕込むと思ったのか?」
「あなたからの施しは受けないわ」
 彼は水の入った杯を持ち上げ、ジェニーを鋭く一瞥する。それから、水を一口だけ口に含むと、残りの水を食事の上にぶちまけた。
「まあ、いいさ。俺の腹が減るわけじゃなし」
 彼は見張りの女に食事の皿を託し、ジェニーに振り返って笑った。
「それより、あんたにお願いがあるんだ」
 ついにきた。
 ここにいればいい、と告げられ何の説明もされないまま、不安にもがいて一夜が過ぎた。今やっと、彼らに監禁された理由が分かる。
 ジェニーは隣のアリエルの手を軽く握った。“マルセル”が底意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「その服、脱げよ」
 アリエルがジェニーの手を押さえ、椅子から立ち上がった。
「そういったことであれば、この私が服を脱ぎます!」
「あんたは引っ込んでろ。誤解するな、俺はその女の服が欲しいんだ。宝石が縫いこまれた、金になりそうな服がな。その中にある、王の手垢がついた体なんか要らないね」
 アリエルの真っ赤な顔を見ながら、彼は肩を揺らして笑う。
「ジェニー様、早く脱げよ」
 彼はなおも笑いながら、ジェニーに迫る。
「……わかったわ」
「ジェニー様、お止めくださいませ!」
 服を脱ぐ間も男が居座るだろうことは、ジェニーは承知のうえだ。だがジェニーは、自分が彼を怯えていると思われたくなかった。
 ジェニーは服を脱いだ。男は興味深そうにジェニーを眺めていたが、男の目が好色そうに変わることは最後までなかった。
「いい度胸だ。あんたは女だけど、気に入った」
 男はジェニーが差し出したドレスを奪い取ると、意気揚々として部屋を去っていった。


 館に来て二日目、一日の時間はさらに長く感じられた。食事も睡眠も満足にとらず、ジェニーとアリエルは疲弊していた。疲れて口数が減り、視線を交わし合うことでお互いをなんとか励ましあった。
 “マルセル”は昼前に部屋に来て、ジェニーが昨夜あてがわれた粗末な衣装をまとっているのを見て、満足げに笑った。彼は夕方にも部屋に訪れ、ジェニーたち二人が長椅子にもたれて座っているのを、薄笑いを浮かべて眺めていた。
 その二度の訪問の際、ジェニーは彼に、自分を拘束した目的を尋ねた。何が望み? 私たちはいつまでここに監禁されるのだろう?
「俺はあるものを待ってるんだ。あんたを傷つける気はない。あんたは黙って、ここで好きに過ごしてればいいだけさ」
 彼はきっと、ベアール家かゴーティス王に、ジェニーの身代金、または、捕らえられた仲間の釈放を求めているのだ。
 二度目の夜が近づくのを感じ、ジェニーはカーテンが閉めきられた窓を見た。ユーゴもゴーティス王も、今頃はジェニーをやっきになって探しているだろう。
 部屋に凶器となりえそうな物はない。見張りの女たちは、男に見劣りしないほど、隆々とした筋肉を持っている。ジェニーやアリエルが素手でまともに向かったとしても、勝ち目はなさそうだ。
 どこか、何か、逃げ道がないものか――。
 ジェニーは焦り、考えた。何もしないまま、ゴーティス王に何も伝えられないまま、むなしい夜がまた来てしまう。


 異変があったのは、三日目の午後のことだ。
 死んだように静かだった館の一階で、豪快な笑い声に続き、はやしたてる男たちの声がした。夜の飲み屋で、酔った男たちが大声で笑い、しゃべっているような騒ぎだ。
 ほどなく、興奮して何かを叫びながら、“マルセル”が廊下を駆けてきた。
『やった! ついに手に入れたぞ!』
 扉を開け、彼が発した第一声は、これまで彼が話していた言語ではない。だが、驚くべきことに、ジェニーが理解できる外国語だった。
『何もかも俺の計画どおりだ、こんなに早く手に入るなんて、おまえたち、信じられるか? ああ、レオポルド様がどんなにお喜びか……! あれさえ手に入れば、こんな場所にもう用はない。さあ、来いよ!』
 望みの金か仲間の身柄を手に入れ、彼は気がゆるんだのだろう。発音には訛りがなく、それは彼の母国語に違いなかった。ユートリア語だ。
「……聞いたことのない言葉ですわね……」
 アリエルの言葉を聞きとったらしく、“マルセル”が不敵に笑った。その反応を見て、ジェニーは咄嗟に彼女への返答を変える。
「ええ、そうね」

 見張りの女たちを“用事”と称して外に誘い出し、“マルセル”はジェニーの前から姿を消した。廊下には見張りの男が立っている、と彼は念を押したが、ジェニーは信じなかった。彼らは館を立ち去るつもりなのだ。
 一時間と経たないうちに、階下の騒ぎは嘘のように静まった。これまでのように、それまで以上に、全ての物音が静かな館に飲みこまれている。音が存在するとしたら、ジェニーの胸が打つ鼓動だ。
「行きましょう」
 ジェニーが扉に手をかけると、アリエルが慌てて止めた。
「ジェニー様、外には見張りが――」
 廊下には、まったくひと気がなかった。
「これはいったい……どういうことでしょう?」
 戸惑うアリエルの手を引き、ジェニーは廊下に出た。足に今ひとつ力が入らなかったが、ともかく、足を前に動かすしかない。
「さっき、あの男が“ここにはもう用はない”って言ってたの。何か欲しかった物を手に入れて、ここを出て行ったのよ」
「まあ……! あの言葉を理解していたのですか、ジェニー様?」
「ええ。でも、あの場では理解できない振りをした方がいいと思ったの。あれは、ユートリアの言葉よ」
 ユートリア語圏は広い。政治的には崩壊している広大な北方の国ユートリア、その周辺に位置するいくつかの地域。もとは国土の一部で、塩の権利を独占したがった貴族が建てた、マキシム王国も含まれる。“マルセル”はそのどこかから来たのだろう。
 でも――彼のことは、今はどうでもいい。


 見渡す限りの丘陵に、王城への道しるべはない。
 でも、天はジェニーの味方だ。沈んでいく太陽を追って二つの丘を越えると、川面の光がジェニーの前方に現れた。王城の近くを流れるシエヌ河の支流だ。
 王城へ。
 ゴーティス王のもとへ。
 ジェニーとアリエルは土手沿いにひたすら歩いた。日が暮れて足元が見えなくなっても、二人の歩みは止まらない。
 ジェニーは早く帰りたかった。空腹も、足の痛みも、ジェニーの想いには打ち勝てない。
 ジェニーのいないこの三日間、王は死ぬほど心配していただろう。なぜ剣を持っていかなかった、と怒鳴られるかもしれない。危機感が足りない、と怒られるかもしれない。
 でも、怒られても、怒鳴られても、構わない。ゴーティス王の顔を見られるのなら、それで構わない。
 夜が深く濃くなり、ジェニーは我慢していた涙をようやく流した。緊張がほどけた安堵感と、王にまた会えるという安心感からだ。
 涙は、塩辛かった。



 ジェニーとアリエルを乗せた荷馬車が王城の西門に着いたのは、夜明けをわずかに過ぎた頃だ。西門の門番たちはジェニーの顔を知らないが、アリエルとは面識がある。アリエルが門番に何かをしゃべったあとは、怒号が乱れ飛び、騒然となった。
「ジェニー様、すぐに手当てをして差し上げますからね」
 朦朧とするジェニーの意識の中でも、歩き過ぎて腫れた足が熱を持っているのが分かる。でも、ジェニーを気遣うアリエルの足だって、同じような状態だ。王城に荷を納入する業者に拾われたのは、本当に幸運だった。
「私、ひどい顔じゃない?」
「いいえ。いつもより少し勇敢に見えるだけですわ」
 アリエルが笑い、荷台に寝るジェニーの髪を手で梳いた。ありがとう、とジェニーが言うと、アリエルはまた笑った。
「……まあ? サンジェルマン様がお見えになりましたわ」
 荷馬車は止まり、ジェニーはアリエルの手を借りて半身を起こした。サンジェルマンの後ろに、ゴーティス王の姿を期待する。
「アリエル!」
 サンジェルマンの顔が、アリエルを確認して一気にゆるむ。だが、彼の後ろには誰もいなかった。
「アリエル! ジェニー! 二人とも無事だったか!」
 満面の笑顔でサンジェルマンは荷馬車の脇に駆けつけ、アリエル、ジェニーの顔を見て、二人の背後に視線をめぐらす。宙をさ迷った彼の視線は戸惑いに変わり、ジェニーに向けられた。
「……ジェニー、王はどこだ?」
「えっ?」
 サンジェルマンが不審そうに顔をくもらせる。
「王は昨日ひそかに城を抜け出し、おまえを救出に向かった。おまえがここにいるのなら、王が一緒なのだろう? 王はどこにおられる?」
 サンジェルマンが不安そうにアリエルを見る。
「サンジェルマン様、ジェニー様と私は、昨日までずっと監禁されていたのです。二人だけでした。王とは……ああ、王とは、城を出て以来、一度もお会いしておりません……!」


 春先の肌寒い風が、ジェニーの肩を撫でるように吹き抜ける。昨日の午後に耳にした、ユートリアの言葉。
『やった! ついに手に入れたぞ!』
 彼らが待ち望み、手に入れたものとは何だったのだろう?
 いやだ、想像したくもない。
 でも、彼らがジェニーと引き換えに手に入れたものは、もしかすると――。



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