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1.遭遇

2009.02.04  *Edit 

 薄暗い白い天井、まるで遊牧民が使う移動式住居の天井が、目覚めたジェニーの視界に入った最初の物体だった。意識も視界もぼんやりとして焦点が定まらなかったが、目だけで天井の曲線に沿って下へ追っていくと、自分の横に不鮮明な物の輪郭が見えてきた。体は動かさずにじっと目を凝らしていると、それは段々と人間の形をとり、同時に彼女も正気に戻っていった。
「気分はどうだ、娘?」
 見覚えのある青い瞳と典型的な北ユーロ人の特徴をみとめ、彼女ははっと目覚めた。瞬時に全ての記憶が蘇えり、両手の痛みの感覚も戻ってくる。
「煙を吸って喉が痛いだろう? 水を持ってきたから、飲むがいい」
 敵側からの施しなど何も受けるものか!
 彼女はその意志をとおして、彼の言葉を無視した。ただ、この類の強情さを主人のゴーティス王で慣れている彼にとっては一向に困るものではなかったが。
 彼女は見える範囲内の物を全部見渡し、ここがあの王とかいう男の幌の中だと推測した。自分の体の下にある寝台にひかれた分厚く柔らかい毛皮の敷物、小さなテーブルにかかる異国風の緑のクロス、細かい造作をほどこした鎧。ここは、彼女のいた世界とは全くの別世界だ。
 心身ともに疲労困憊していたとはいえ、敵の陣地でこんこんと眠り込んでしまった自分に、彼女は情けないやら、腹立だしいやら。
 一方、彼女に気が済むまで周囲を見させておいた彼は、この強情な娘をどう対処しようかと機会をねらっていた。主人の道中を慰めるぐらいの間は、せめて生き延びてもらわないと。
「他に入用なものはないか? 食物か何か?」
「……じゃあ、あなたの主人の命を」
 やっと口をきいたと思ったらそんな物騒な言葉だ。サンジェルマンは、怒りよりもあきれる気持ちになる。まったく、自分の置かれた立場をのみこめない、なんと向こう見ずな娘。
 彼女はそのまま彼に背を向け、彼との接触への拒否を体で表した。彼女の背中を見つめ、彼は小さく息をつく。あの灰が舞い散る戦場にいた彼女には、水が何よりも必要なはず。彼にはよくわかっていた。
「水はここへ置いておく。これは兵士の分を取り上げて持ってきた水だ、もしいらぬならば、後で兵士に返さねばならぬが、構わないだろうな? ちなみに、今度水が手に入るのは明日の昼以降だ」
 彼女のうつむいていた顔がちょっと動いたが、彼女は言葉を発しなかった。彼から身を隠したいかのようにさらに自分の体を小さく丸め、軍の施しを拒否する姿勢を止めない。
 なんという、強情な子。
 とりつくしまのない娘にサンジェルマンは仕方なく退散することとし、彼女の横から腰をあげた。ゴツゴツと重い靴音をたてて馬車内を歩き、入口の垂れ幕をめくりあげる。そこから差し込む眩しいオレンジ色の夕日に、彼は顔をしかめた。

 サンジェルマンが去ってそれほど経たないうちに、今度は勢いよく入口の幌がばっとめくり上げられた。ジェニーが愕いて振り返ったそこに現れたのは、見知らぬ兵たち二人で、ほのかな光を放つ明かりと鎧をそれぞれ持っていた。
 彼らは彼女に気づいても何も言わず、関心さえ示さないような素振りで中に入ってきた。一人は、右隅にある異国調のクロスがかけられた台に明かりを置き、別の一人は出入り口横に持ってきた鎧をそっと降ろした。彼は軽々とそれを持っていたが、床に置かれた時にはかなり重そうな音をたてた。
 用事を終えた二人は、彼女の存在など全く気にかけず、そそくさとその場を後にした。めくれた幌の向こうに見えたのは、すでに日の落ちた闇の世界だ。幌のすぐ外には男が後ろ向きに立っており、主人の留守中にジェニーが逃げないようにと見張る、あの王の部下だとすぐに確認できた。彼女の耳に、大勢の男たちの騒がしい笑い声や陽気にしゃべる声がはっきりと入ってきた。
 今日一日で起こった数々の出来事が、次から次へと思い出される。
 母に納屋へ閉じ込められたこと。燃え盛る家々、住民を追い掛け回す兵士の姿。風になびく美しい髪を持ったゴーティス王が自分を見て笑う光景。
 知らず知らずのうちに、彼女は涙を流していた。
 兄ローリーの最期を見たわけではない。
 でも、あんな重傷を負わされた上に瓦礫の下敷きになったのでは、彼の生存の望みは薄い。それに街中が燃え、あちこちに兵士がまだ残っていた。残った力を振り絞って兄が瓦礫の下から這い出しても、その傷を負った身でどこまで逃げられるのか。
 兄が地面に腰を落とす光景を思い出しては胸を貫かれる思いがし、そして、城へと連行される自分の身を思うと激しく混乱してしまう。今のジェニーには、何をどうしたらよいのか、わからない。

 しばらくして幌の前に姿を現した主人に、サンジェルマンは中のジェニーの様子を簡単に説明した。あいかわらず手首を拘束していること、食物や水を受け取ろうとしないこと、疲れて眠っているのが多いこと。
 ゴーティス王が幌内に入ると、捕らえた娘が寝台の上で体を横たえている姿がうす明かりに浮かび上がった。彼は幌の奥まで歩くと、明かりの炎を大きくして室内をもっと明るくさせた。サンジェルマンが与えたという並々とあったはずの水の器は、半分ほどの水に減っている。喉の渇きに耐え切れず、彼女が飲んだのだろう。彼女の手を固定しているサンジェルマンの鞭は、気の毒なほどに彼女の手にくいこみ、赤黒い痕をつけていた。
 彼がそうして彼女を見下ろしていると、ほどなく、彼女が眠りから目を覚ました。
「やっとお目覚めか、ジェニー」
 彼女は見たくないものから目をそらすかのように天井を仰ぎ、だが、思いなおして彼をむっとして睨み返した。彼は、彼女のとる態度に感心に近い思いを抱き、そして笑い出した。
「まだそのような態度をとるとは、おまえも大したものよ。俺はヴィレール王であり、おまえはヴィレールとの戦に負けた土地の民だというのに、いまだ自分の立場をよく理解しておらぬようだな」
「あなたのやったのは、奇襲して略奪しただけじゃない。戦なんてしていないわ」
「ほう? 側近でも俺に遠慮して言わぬ言葉を、よくもそう簡単に抜かしおること」
 彼女は今も目をそらさない。
「……つくづく面白い娘だ、おまえは。だがな? おまえの土地が征服されたという意味では、戦であってもなくてもどちらでも同じこと。おまえは賢いようだ、その意味がわかろうな?」
 ゴーティス王は彼女の目の前でそう言い吐き、身をひるがえした。その反動で彼が身につけていたマントが彼女の頭にぶつかったが、彼女はそれをよけもしなかった。

 身につけていた鎧をはずした彼は、ひとまわりほど体格が小さく見えた。兵士の一人が室内に持ち込んだ鎧はかなりの重量がありそうで、それを装着していてもなお、彼女の背後からの攻撃に敏速に対応した彼の技量と敏捷さ、優れた勘は想像を絶する。見れば、彼が今脱いでいる靴も頑丈で分厚く、それ相等の重量がありそうだった。マントの下から現れた腕はきちんと鍛錬を積んだ筋肉でひきしまっており、服の下に隠しきれない体もしっかりと鍛え上げられていた。彼女はあらためて、彼女が対抗しなければならない敵の強さを痛感した。
 印象的な長い真っ直ぐな銀色ともいえる髪、かすかにのびる金色の無精ひげ、筋骨たくましい厚い肩。ついさっき彼女に向けられた瞳は、見たこともないほど濃いきらめく緑色だった。
 多分、彼のような類の男は世の中では美しいとされるのだろうが、憎悪こそ感じても、それ以外に彼女の心に何も響くものはなかった。
 ジェニーはたしかに敵を隅々まで観察してはいたが、それは決して男性としての彼を見ていたのではない。
 靴を脱ぎ捨てるのに成功した彼が、彼女に振り返って言った。
「……その鞭はそろそろ取ってやろう」
 ジェニーは怪訝に想って彼を見たが、自由になりたかった彼女は、彼が鞭をゆるめるままにさせた。手首には赤黒い鞭の痕がついたが、特に傷にはなっていなかった。彼女の指の先端にまで血がかよい、重く冷たかった両手が軽くなっていく。
 手が自由になった彼女は自分の前に立つ彼を見た。彼も、彼女をじっと見下ろしている。

 外敵から護るように馬車で円陣を作り、野営の支度を整え終わった部隊は、円陣の中側で仲間が作った食事をとり、談笑していた。疲れのあまりか、その絶え間ない喧騒の中で眠りこけている兵士もいる一方で、捕虜の娘たちを無理やりに自分たちの幌の中に放り込んで、交代で彼女たちの体をもてあそび、楽しんでいる者たちもいる。
 しばらくして、王の幌のすぐ外で待機しているサンジェルマンの耳に、女の短い悲鳴が聞こえてきた。馬車の内側からだ。近くで護衛しているほかの兵にもその声は届いたはずだが、皆、王を怖れるあまりに一様に知らん振りを決め込んでいる。そしてその後、王のどなり声と何かがぶつかるような音が。
 サンジェルマンは幌の中にいる王が心配で馬車に振り返ったが、もう少し時間を置いた後に中の様子を確かめてみることに決めた。どうせ、王に反抗した娘が剣で切られたか、殴られたか、蹴られたか……。日常的によくあることで、そう驚きはしない。
 サンジェルマンは円陣の中央に振り返った。焚かれた火を囲み、兵士たちが何やら盛り上がっている。戦の後だというのに、いや、後だからと言うべきか、若い男たちが多数を占める兵士たちの熱気や興奮は治まらない。
 王の幌から音は聞こえなかった。サンジェルマンは、幌の中の王に静かに声をかけた。
「王、特に何か入用はございませんか?」
 そう言って、彼は主人の返事を待った。返事を急がせる素振りもせず、余計な刺激を与えぬように、王の答えを辛抱強く待つのが重要だ。すると、一呼吸置いて、中から静かな低い声が返ってきた。
「いらぬ。俺はこのまま眠る。明日の朝、出発する前に起こせ」
「承知いたしました」
 王の返事の意味するところは、彼らが始末しなければならない死体は幌の中にはなく、掃除しなければならないほどに血は流れていない、ということだ。つまり、何かちょっとした不運な“行き違い”が王と娘の間に発生したのだろうが、王は娘を殺してはおらず、彼女も大きなケガはせずに無事で生きているということだ。
 王の返答にほっとした彼は、脇で状況を見守っていた護衛兵に無言で頷いて、心配ない旨を伝える。彼らも表情を変えはしなかったが、彼の返答を聞いた後は、明らかに緊張がほどけていった。
 ゴーティス王が遠征先で愛人にする女を見つけ、連行する場合は何度となくあった。しかし、彼に反抗する女たちは皆無だったため、彼女たちの三分の一は、無事に何とか王城にたどり着いている。その後に彼の寵愛を受けずに退城させられた女たちも数多いのだが、今回の少女のように、すきあらば王の命を狙っているという場合は特殊だ。今までに経験がない。
 帰国前までに彼女が王の機嫌を損ねて娘自身が命を落とすだけでなく、軍一行にまでとばっちりがくるのではないかと、サンジェルマンは気が気ではなかった。静かになった王の幌を眺めながら、娘が騒ぎを起こさず、連隊が帰宅する道中に何の不愉快な問題も起こらず、ただ平穏に全員が無事に帰国できることだけを、切に強く願う。

 肩に触れるひんやりとした冷気に震え、ジェニーは鈍い眠りから目を覚ました。辺りは真っ暗で、外で夜の鳥が低音で鳴く声と薪のはじけるような音以外、何も聞こえてこなかった。彼女は自分がどこにいるのか、一瞬、判断ができなかった。
 しかし、すぐに、頬の焼けるような痛みとともに彼女に記憶が戻ってきた。闇になれた彼女の目に、誰かの白い髪が光って映る。白にも見えるほど明るい、白金髪。印象的な髪の色だ。目の前に、視界をふさぐように横たわっているのが、あの忌々しいヴィレール王の後ろ姿だと気づくまで時間はかからなかった。
 熱はひいたが痛みの残る左頬を手でそっと押さえ、彼女はさっきの王とのやり取りを思い出した。
“俺が見たいか? 俺を見たいのなら、正面から存分に見るがよい”
“なぜ? 見たくなんかないわよ”
“……いつまでも素直でない娘よ”
“なにを……?”
 不敵な笑いを浮かべた彼は、何を思ったか、ジェニーの両頬を押さえて彼女の唇を自分のそれで覆った。
 ジェニーは驚き、自分の唇を覆う気味の悪い物体を拒否して、そこから必死で逃れようとした。彼の手さえも触れたくないのに、唇をのせるなんて……!
 ジェニーが首を振り、手を振り回したために、その両手の自由を奪おうと彼女の頬を押さえていた王の手が動いた。それでやっと彼の口からほんの一時逃れられた彼女は、そこで自分の手首を押さえる彼の左手の甲を、力の限り、噛み付いてやった。手の甲の肉を噛み切ってやるぐらいの勢いで。
 口の中に広がる血の味に、吐き気がした。嫌悪感の味だ。
 王が何か言葉にならない声を大きくあげて、彼女の顔を手から乱暴に振り払った。ジェニーが唇をぬぐいながら彼の手を見ると、そこにはくっきりとした歯型の跡と真っ赤な血が噴出していた。自分のとった行動の結果をあらためて目にし、ジェニーは不意に恐ろしくなる。怒りで燃えたぎる瞳を彼女に向けたゴーティス王は、あまりにも恐ろしい形相だった。今度こそ殺される、とジェニーは思った。
 ところが、彼は噛み付かれたのとは反対側の手を大きく振り上げたかと思うと、ジェニーの頬を力任せに平手で打った。頬がどこかへちぎり取られたかのような凄まじい痛みだった。あまりの衝撃と痛さに彼女の頭は真っ白になり、体は幌の壁に反動でぶつかって倒れた。そして、彼は直後にまた何か吼えるように叫び、寝台の上にどすんと腰を降ろした。
 ジェニーは身を縮めたが、彼は彼女に手を伸ばしもしなかった。彼は、ジェニーを殺さなかった。
 そのことにどれだけの意味があるのか、彼女には全くわかっていなかったが、とにかく、彼女はその状況を生き延びた。

 いつのまにか眠りに落ちて以来、どれくらいの時間がたったのかわからないが、外は静かで、前に眠る男も深い呼吸音をたてていることから、夜中だろうと思われた。彼は右脇を下にして、左手を右手の上に重ねるようにして眠っていた。
 半身を起こしたジェニーの位置から、噛み付いてやった左手の傷がよく見えた。血はもう止まっており、赤黒いかさぶたになりはじめている。
 男の顔をのぞきこんだ彼女は、彼のまつげがぴったりと閉じられているのを確認した。寝息は規則正しく繰り返され、体も呼吸にあわせてゆったりと揺れている。
 この男は今、眠っている。
 ジェニーは、王の体越しから暗闇の中に見える台や床に武器を探した。彼が脱ぎ散らかした靴、台に掛けたマント、水の入った皿。目の前の彼は腰に鞘をつけていないのに、彼の外したはずの剣がどこにも見当たらない。
 でも……もしかしたら、この寝台の陰か、下にあるかもしれない。
 息を殺し、ジェニーは物音を立てないようにそっと膝を立て、寝台の長辺と平行方向に体をずらそうとした。
 その瞬間、ジェニーの腰に王の左手が無造作に置かれ、びくっとして動きを止めた。おそるおそる彼の横顔をうかがったジェニーだったが、彼はあいかわらず健やかな寝息を立てており、彼のまつげも微動だにしていない。
 ……寝ぼけているのだ。
 ジェニーは音にならない安堵の息を漏らすと、再度自分を落ち着かせようとゆっくり呼吸をした。それから、ゆっくり、そっと、その彼の左手から体を抜けさせようと、彼女は体をじりじりと移動させていく。
「……おまえの探しておるのは、これか?」
 突然どこからか低い声がし、ジェニーはまたもやその場に凍りついた。すると、彼女の腰から引かれた王の手が、彼女の探していた彼の剣をともなって目の前に差し出される。
 絶句し、体を硬直させたジェニーが王を見ると、彼がゆっくりと振り向き、細く開けた目を彼女の顔にしっかりと向けた。その目は寝ぼけている目ではなく、もうずっと前から起きている、覚醒した正気の瞳だ。思わず、恐怖のあまりにジェニーの体が震えた。
 その彼女の恐怖に気づいたのか、彼は目を普通に見開き、にこりとも笑わずに続けた。
「おまえが俺の寝首をかこうとするとはな。俺の目も節穴になったものだ」
 ジェニーはやっとのことで体の震えを抑え、口を開いた。
「……いつか……起きているなんて」
 王は無表情でジェニーを見返す。
「俺は “殺気”には敏感でな」
 なんという敏感さ、用心深さなのだろう!
 またもや、ジェニーは背筋が凍る思いがした。そして、その彼女の心を見透かしたように、彼は自分の剣をジェニーに向けながら、嘲るように乾いた笑い声をあげた。
「おまえのあきらめの悪さには感服する。だが、おまえには俺を殺せぬだろうよ」
「どうして……よ?」
 むっとしてジェニーがふくれると、彼はさらに笑い声をあげた。
「“どうして”だと? おまえ、俺を本気で倒せるとでも思うのか?」
「やらなければわからないじゃない。私は、何度だって試すわ」
 彼女の返答に口をつぐんだ彼は、その直後にまた小さく笑い出した。剣と彼女の顔を見比べては笑い、彼女が怒れば怒るほどおかしいとでもいうように、彼は肩を震わせて笑う。ジェニーの怒るのがむしろ頼もしいとでもいうように、彼は上機嫌だ。
「やってみろ、ジェニー。やれるものならばな」
 彼の挑発にひるむことなく彼をまっすぐ見つめ返すと、ジェニーのそんな態度に満足したのか、彼はにやりと笑った。それから、それまで手に持っていた剣を自分の後ろの床に放り投げると、自分のひじを枕にして目を閉じ、再び寝入る態勢に入る。目の前に自分を殺してやるという女がいるのにそんな悠長な態度をとるこの男が、ジェニーには信じられない。
 彼女が唖然としていると、彼は噛みつかれた手の傷を指でなぞった。ジェニーを挑発するためだろう。彼の目は閉じていても、その顔にはうす笑いが続いていた。

  ◇  ◇

 サンジェルマンの心配をよそに、王の捕らえた娘ジェニーは大きな問題を起こすこともなく、王が機嫌を損ねて問題が引き起こされることもなく、七日間に及ぶ遠征の旅は終わろうとしていた。
 彼女は最初の数日こそ脱出を試みてはみたものの、周囲にいる屈強で女ひでりの兵士たちの存在に逃亡をはばまれて、あきらめざるをえなかったようだ。彼女は極度の緊張と深い悲哀の感情で神経をすりへらせ、また、慣れない天候と環境のせいで日増しに弱っており、帰国が近づくにつれて元気になっていくゴーティス王とは正反対だった。

 ヴィレール王国の主城であるラ・ヴィスコン城は、大きな海洋に通じるシエヌ河を眼下に臨む小高い丘に建つ。小国の王城としてはかなり立派な居城で、初代王が莫大な私財を投じ、外国の技師を雇って造らせたものだ。他国と比べれば決して広大ではないものの、その頑丈さや内装・造作の良さ、実用性と審美性を兼ね備えた構造などは、非常に優れた城だといえる。
 くっきりと晴れ渡った秋晴れの空の下、ヴィレール軍はついに王城の門をくぐった。王城に戻る道すがらに所属地へ帰還していった分隊もあるため、実際に王城に入ったのは十分の一程度の人数にまで減っていたが、それでも、戦馬車と軍隊の列を王城の広場内に収めて重厚な門扉を完全に閉ざすまでには、相当な時間がかかった。
 事前に連隊の勝利は伝聞されていたこともあり、王城の衛兵たちや使用人たちは大きな歓声をあげて彼らを迎え入れ、知り合いの顔を見つけては抱きあって喜びあった。
 久々に目にした自分の城と見慣れた人々の姿に、ゴーティスは早速自分の幌の中へ舞い戻って、新しい住人となる者をそこに見つけた。彼の寝台の上で、当初は身につけることを散々嫌がっていたものの、寒さに耐え切れずに受け入れた彼の毛皮にくるまって、眠っている娘がそこにいた。目の下にはうっすらと青い隈ができていたが、頬は赤みが差しており、一時期よりは体調が復活しているように思えた。
 彼はその寝台に大股で歩いて近づいていくと、彼女の頭のすぐ近くで靴をドン、と踏み鳴らした。
「ジェニー、起きろ! ヴィレールに帰国したぞ!」
 びくっとして起きた彼女の顔のすぐ上に顔を近づけ、彼はおどけて頭をぴょこんと下げた。
「ようこそ、我が城へ」
「――城?」
 ジェニーが何のことかまだわからずにぼんやりしているのを気にも止めず、彼は冷たく笑った。
 遠くから人々の騒ぎ立てる声が聞こえてくる。彼女は整理のつかないらしい頭を何とか動かそうと、深呼吸をした。その前を、落ち着きのない態度で彼は通り過ぎて行く。
「サンジェルマン! サンジェルマンはおるか?」
「御前に、王!」
 彼の呼び声に答え、幌のすぐ外から声がした。ゴーティス王が幌を外側にめくると、金髪の小さな頭がそこから見えた。
「入るがよい」
 主人の言葉で、彼は身軽に馬車の上に飛び乗ってきた。ヴィレール王以外にジェニーが唯一、毎日顔をつき会わせた相手だ。彼はジェニーを見ると、意識的に無関心な様子を見せた。
「この娘をモンペール女官長の元へ連れて行け。それから……今宵の宴に出せるよう、身支度を整えさせろ」
 王がジェニーのうす汚れた顔や服をちらっと見て顔をしかめた。サンジェルマンは、敵に施されることを可能な限りに拒否するこの少女に、女官長も手を煩わすだろうと思った。サンジェルマンが数度、彼女の手足や顔をふき取ってやった以外は、敵に体を触らせることを許さず、おそらく彼女は自分の体を洗うこともしていないはずだ。最初に出会った時も灰で顔や腕は汚れてはいたが、今の彼女の姿はとても人前に出られたものではない。
 サンジェルマンはジェニーをマントでくるむようにして後宮の裏口に通じる通路を歩き、手を離せば倒れてしまいそうな頼りない少女を盗み見た。足取りはふらつき、顔色は真っ青。初めて足を踏み入れる外国の王城と居並ぶ立派な衛兵たちの姿に圧倒され、言葉を失っている。あの恐ろしいゴーティス王に反抗できる力強さを持ちながら、一瞬で壊れそうな脆ささえ感じさせる、不思議な娘。
 外の明るさに比べてほの暗く長い廊下を彼らは無言で歩き続け、縦長の窓をいくつか通り過ぎた。
「ジェニー、つらければ、私の腕につかまって歩きなさい」
 見かねた彼はジェニーの前に自分のひじを差し出したが、彼女は頑なに無視した。敵一味の手など、間違っても借りるつもりなどない、とでもいうように。
 行き場をなくしたひじを仕方なく引っ込めたサンジェルマンは、心の中で重いため息をついたが、その強情さになぜか失笑してしまった。この種の強情さは、幼少期のゴーティス王に通じるものだ。
 ゴーティス王の姿を彼女に重ね合わせ、彼はなんだか微笑ましいものを見るように、くしゃくしゃになって乱れた髪に被われた彼女の横顔を黙って見つめた。

 後宮は王城の中でも最も奥に位置するため、たどり着くまでには時間がかかる。通常ならば侍女たちが行き交うはずの延々と続く廊下にはひと気がなく、二人の靴音だけが気味悪く響いている。
 城の奥深くに通じる暗い道。遠くに聞こえる人々の歓声が遠のき、サンジェルマンの高い靴音が大きく共鳴する。
 急にジェニーの手に引っ張られたサンジェルマンはあやうく後ろ向きに転倒しそうになって、あわてて態勢を直した。
「ジェニー?」
 後ろを振り返った彼は、ジェニーが口をあけて床にくずおれているのに驚いて、急いで彼女を助け起こした。
 彼の手にふれた彼女の指先が死人のように冷たい。腕に抱えた彼女はすでに意識がなく、彼は青くなって彼女の体を揺すって言った。
「ジェニー? しっかりなさい、ジェニー!」
 彼女の指は硬直していて、何の反応も返ってこなかった。サンジェルマンはあわてて彼女を腕に抱き抱えると、一目散にモンペール女官長の元へ疾走した。

 その日の夕方、サンジェルマンが身支度を済ませて王のいる部屋へと参じると、王は入浴をすませてちょうど着替えをしている最中だった。着替えを手伝う女たちに囲まれている。
 祝宴用に見合う王の衣装。王族だけが身につける緋色の肩掛けには金色の縁取りがついており、ところどころに高価な色とりどりの宝石が縫いこんである。付き人の一人が紺色の長衣の上にそれをまとわせると、王の圧倒的な存在感が周りを威圧した。
 主人と目があったサンジェルマンは小さくお辞儀をし、一行のいる部屋と間続きになっている小さな控え室に移動する。今夜の凱旋祝いの宴会に出席するため、彼も日常の地味な格好よりは多少良い衣装に身を包んでいる。
 男の一人が装飾用に選んだ銀のサークレットをゴーティス王に差し出したところ、彼は何かが気に入らなかったらしく、それをむげに拒否した。彼を怖れてただでさえ口数の少ない使用人たちは、その否定の言葉を耳にしただけでいっそう身を縮ませ、誰もがぎこちない表情に変わり、伏し目がちとなっていく。そんな使用人たちの中に新顔の女がいて、王が少し興味を引かれて見やると、彼女は必要以上に緊張して顔をこわばらせた。
 使用人たちの態度は、彼の勘に触り始めているようだ。
「どこか、苦しい部分はございませんか?」
 サークレットを持参した男が勇気をふりしぼって訊いた問いに、王はじろっと白目を向けた。
「服を着せたおまえたちが分からぬのか?」
「は、いえ……」
 男が何か返答しようとするのを制止するように彼が再度にらむと、男はすぐに口をつぐんだ。一行の間に嫌な緊張感が流れる。
「よい。用が済んだらさっさとさがれ」
「ははっ!」
 王の言葉が終わるのと同時に、彼らは蜘蛛の子を散らすように素早く退散していった。各自が手にそれぞれの荷物を持ち、彼の機嫌が損ねられる前に視界から一目散に消えなければというように。
 使用人たちが出て行く気配を感じ取り、サンジェルマンはさりげなく姿を現した。部屋の中央に据えられた華奢な長椅子に、ゴーティス王が独り、座っていた。それだけで宝石のように輝かしい髪には何の装飾品もつけず、緋色の肩掛けの下には濃紺の長衣、黒と金の帯を締め、首からはそれぞれに大きな連珠がついた首飾りを三本垂らしている。腕輪はしていない。
 腹心の出現に王は気だるそうに顔をあげ、近づいてくる彼を見上げた。白に近い琥珀色の長衣には淡い朱色の上服が重ねられ、その上に黒・白・黄の細かい刺繍を施した短い丈の肩掛けをまとっている。腰帯は上服よりも濃い赤に茶が混じった色で、金色の房が三つ付いているものだ。長衣の裾からは青銅色の靴が見え隠れし、濃い金色の髪もきれいに頭にとかしつけている。
 王の前に来ると、サンジェルマンは柔和に笑い、彼の座る椅子の横に広げられた腕輪の山に目をやった。
「腕輪はどちらを着用されるのですか?」
「おまえはどれがよい?」
「そうですね……」
 あくびをかみ殺す王を笑顔で見ながら、彼は王の衣装にあう腕輪を目で探した。
「今日の衣装であれば、こちらが合うのではないでしょうか。赤玉も入っていますし、金細工も素晴らしい出来ですよ」
 そのうちの一つを取り上げた彼がそう言うと、王はそれを横目にまたもやあくびをした。
「そうか。ならば、それはおまえがつけろ」
「王? これは王の為に用意されている装飾品ですよ。」
 サンジェルマンが苦笑すると、ゴーティスはその手から腕輪を取り、元あった場所へとそれを放り投げる。
「ふん、どれも俺の好みではない。それより、おまえもせっかく正装しておるのなら、腕輪ぐらいつけてもよかろう?おまえは容姿に恵まれておるわりには地味すぎる。他の男どものようにもっと着飾っておれば、女の注意もさらに引くというものよ」
「私は華美な服装を好まないのです。それに、私のような立場では、地味で目立たない方が何かと好都合なのですよ、王」
「ほう? 世の男どもに聞かせてやりたい言葉だな」
  王の放り投げた腕輪を他の装飾品の場所へと移していたサンジェルマンは、そこでふと彼の左手に目をやり、そこに残るケガの跡に初めて気づいた。野犬に噛まれたかのような歯型だ。今の今まで全く気づかなかった。
「王、その傷はどうなされたのです?」
 呆然と傷痕を見つめるサンジェルマンの視線に、彼はすっと真顔に戻った。
「これか? 見てのとおり、歯型だ。何ともあっぱれな歯型ではないか?」
「お戯れを! ああ、不覚にも今の今まで気づきませんでした!」
 サンジェルマンの心配そうな表情と勢いに彼はちょっと不快に思ったらしく、顔をしかめた。
「どちらで傷を負ったのです? 野犬の噛み傷は放っておくと大変な事態になりかねないのですよ、適切な治療をお受けになられましたか?」
「おまえは、ますます女官長に似てきおったな」
「王!」
「案ずるな、消毒はしてある。それに、これは――」
 噛まれた状況を思い出してつい笑い出す彼を見て、サンジェルマンはあっけにとられる。
「――これはな、戦地でひろってきたあの娘ジェニーが、この俺に噛み付いてつけたのだ。俺の手に屈するのを嫌うてな。何とも反抗的な野犬ではないか? くっくっ……俺は、あの娘の行動には感服するわ!」
 そのまま大笑いする彼とは対照的に、サンジェルマンの顔は驚愕に引きつった。
 あの“ジェニー”が王の手に噛み付いた? 王にケガをさせたと?
 王の体に傷をつけた娘を、むざむざと私は介抱してしまったのか?
 自分の喉に大きな唾液の塊がゆっくりと降りて流れていくのを意識し、サンジェルマンは冷や汗をかきながら主人の不自然に上機嫌な様子を再度見つめた。
 いや、それよりも――それよりも、自分に抗った娘を、王は手打ちにされなかった……?
「――ところで、あの娘はどうした? おとなしく女官長の言うことに従ったか?」
 くるりと向き直った彼は、サンジェルマンを見て、眉をひそめた。
「は? あ、いえ、それが」
「ふん、今度は何をやりおった?」
 歯切れの悪いサンジェルマンにいらいらしたように、彼は先を促した。
「その、実は、女官長の元へ連れて行く前に彼女は倒れてしまいまして。おそらくは過労か風邪だろうと思いますが、現在は熱を出して部屋でふせっておりまして――」
 サンジェルマンの説明が終わりもしないうちから、彼は押し殺した皮肉げな笑い声を立てはじめた。
「くっくっ……倒れただと?」
 彼は髪をかきあげ、サンジェルマンに顔を向けた。
「どこまで俺に抗おうというのだ、あの娘は! まったく、病になってまでも俺を遠ざけたいのか!」
 肩をゆらして笑いつづける彼を怪訝に思いながらも、サンジェルマンはすべき事を彼に切り出すために、体を乗り出した。
「おそれながら、王? 娘に侍医をつけて休養させはしましたが、王に負傷させたのがわかった今――あの娘を部屋で介抱させておくわけには参りません。王のお体に傷をつけてのうのうと生きているなど、まったくもって許されぬこと。すぐにでも、私の方で相当の処置を行いたいと思います」
 処置、つまり、処刑である。それがどんな軽微な傷であれ、王の体に傷を負わせた者は死罪と相場は決まっている。
 サンジェルマンの厳しい表情を見た彼は、むっとして口を尖らせた。
「処置? 俺が退屈しのぎに連れてきた小娘に、何の処置が必要だと?」
「あの娘は王のお体に傷をつけたのですよ、王。それなりの刑を与えねばなりません」
「あれの処遇は俺が決める。おまえが口を出すことなど許さぬぞ」
「しかしながら、王」
「サンジェルマン」
 焦ったサンジェルマンに、彼はなんともゾッとさせる嫌な目を向けた。激情にかわるちょっと前の表情だ。感情のない人工的な透き通った彼の瞳は、サンジェルマンを射抜くかのようだった。
「俺が決める、というのが聞こえなんだか? あの娘の命運は俺の手の内だけにある。それを忘れるな」


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